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1
「んふふー」
「機嫌、良さそうですね、藤村先生」
茶を載せた盆を運んできた間桐桜が声をかけた通り、藤村大河はそのまま歌でも歌い出しそうな雰囲気で、煎餅を頬張りながらテーブルに肘をつき、テレビを見ていた。
といっても、見ている番組が面白いわけではないようだ。今ブラウン管に映っているバラエティ番組に関しては、大河は以前から面白いのか面白くないのかよく分からない、なんてコメントをしていたと記憶している。
「そりゃもう。今日は士郎が帰ってくる日だし。桜ちゃんの洋食も良いけど、私もそろそろ士郎の和食が恋しくて恋しくて」
桜ちゃんも嬉しいでしょ? と、受け取ったお茶をすすりながら目で続ける。
「え、あ、はい。私も、先輩が帰ってくるの楽しみです」
桜も、笑顔で返す。
冬もそろそろ終わろうかという季節、2人の女――1人の女生徒と1人の女教師――は、共通の友人について、話に華を咲かせる。
ちなみに、2人が談笑しているこの居間は、藤村家の物でも間桐家の物でもない。現在の話題の主、衛宮士郎が所有し、1年前まで住んでいた屋敷の中である。
俺は留学するから藤ねえ、家の管理よろしく、なんてことを宣って日本を去った少年の言葉に従って、というべきか。桜は毎朝この家に来て朝食を作り、夕方にも再びやって来ては夕食を作って、この微妙に生活力に不安のある姉のような人と、以前と同じような生活サイクルを続けている。
「しっかし、芸術のげの字も頭になかった士郎が、3年生になった途端、卒業したらロンドンの美大に行くー、なんて言い出した時にゃ正気を疑ったけど、なんとか行けちゃうもんなのねえ。別に昔から絵が上手い方でもなかったのに」
絵画ではなく彫刻ですよ、と一応の訂正を入れながら、桜もその言葉には苦笑するしかない。
何故なら、衛宮士郎が進学した先は本当は美術学校などではないからだ。
士郎は、最後まで桜を相手にも「美大に行く」という嘘を通したが、真相の見当は付いている。
桜は士郎の正体を知らない、ということになっていたのだから、嘘をつくのも当然といえば当然なのだが、それでもやはり寂しい。何より――
「まあ、愛のなせる業ってことなのかしらねー。確か、遠坂さんと同じところなんでしょ?」
そう、何よりその事実がいただけない。
その内容がどうであろうと、それが彼1人の夢であるなら、なんの問題もない。加えて、恋人を作ること自体も、まあ良しとしよう。元々、自分が彼に相応しくない女だとは分かっていたのだから。
しかし、出来た恋人が、彼自身ではなくその恋人の方の夢のために、桜の手はおろか目も届かないところに彼を連れて行ってしまう、というのは少々あんまりなのではないか――
頭を振って、未練を振り払う。
それはもう、仕方のないことだ。考えてもしようがないことで頭を悩ませていては、彼に会った時に笑えない。自分は、衛宮士郎にとっていつまでも日常の象徴でなければならないのだ。
――たとえ、間桐桜が実際にどんな人間であろうとも。
「? どしたの、桜ちゃん」
怪訝そうな顔でこちらを覗き込んでくる大河になんでもないです、と笑顔で応え、桜もテレビに目を移した。
実際、悪いことばかりでもない。電話はよくかかってくるし、何より今日は本人が帰ってくるのだ。しかも、ちょっとしたオマケがある。
「そういえば、遠坂さんはいつ戻るんだっけ?」
「ええ、次の次の日の朝の便に乗ると言っていましたから、40時間くらい遅れて着くんではないでしょうか」
士郎は今日、1人で帰ってくるのだ。
元々は、国際電話による他愛のない会話でのこと。藤村先生が士郎のご飯が食べたいと言って暴れそうだから、できる限り早く帰ってきて欲しい、というような内容のことを話したことがあった。
その話をどの程度真実として解釈したものか、士郎は「――分かった。可能な限り急いで戻るよ」との返事をして、どうやらそのままのことを相方と相談したようなのである。
それだけならどうと言うほどのことでもないのだが、偶然、乗ろうとしたその日はどの便も満席で、キャンセル待ちで出来た席が1つ。
士郎は日をずらしても一緒に帰ろうと思っていたらしいが、その恋人、遠坂凛の「それならやりたいことも残ってるから、ひとまず1人で帰りなさい」との一言があり、衛宮士郎の先行帰国が決まったという顛末がある。
なんだか少し罪悪感があるが、別に別れさせたというわけでなし、1日くらいこちらが彼を独占出来る日があっても構うまい。
そんなことを思いながら、受験も終わってほっとしている中、2人してこの屋敷の本来の主、1年前まであった日常の帰還を楽しみにしているのだった。
「――え?」
藤村大河が、ある物に気付くまでは。
「どうしたんです? 先生」
桜は、士郎のことを回顧しながらぼんやりしていたため、気付くのが遅れた。
隣を見ると、大河はテレビの画面を見つめたまま固まっている。
何事かと再びテレビに目を移したが、先ほどから続いている(おそらくは再放送だろう)バラエティ番組と、「ニュース速報 終」というテロップが画面の上部に映っているだけだった。どうやら見逃したらしい。
「ねえ、桜ちゃん。士郎が乗ってくる飛行機、どこの何ていったっけ」
大河は、固い声でそんなことを聞いてくる。
「ちょ、ちょっと待ってください。確かこっちにメモが……」
そう答えて、嫌な予感を抑えながら電話口へ取りに行く。
居間では、パチパチという音とともに、何度も音声が切り替わっている。チャンネルを変えているらしい。ニュース番組に変えるつもりなのだろう。
――つまりは、そういうレベルで緊急の事態だ、ということ。
「分かりました。ええと――」
メモを見ながら居間に戻る。
そして、テレビに映るニュースの緊急速報では。
旅客機が日本近海の上空で消息を絶った、という事実が墜落の可能性と共に、
さらにはご丁寧に、衛宮士郎を含む日本人の乗客リストまでが伝えられていた……
2
時は、少し遡る。
「で、何時の何処に現れるって? そいつは」
「うむ、あと2日といったところじゃな。場所はおそらく――」
ニヤニヤと人を小馬鹿にした笑みを浮かべる少年に心中で嘆息しながら、老魔術師、間桐臓硯は世界地図の数点を指し示した。
「どういうことだ? まさか世界中に10機近くも出現するとでも言うのか」
こちらの言葉を遮るのは、神父のような礼服を着た、黒人の男だ。
「いやいや、この何処かであろう、ということじゃな」
「ふむ、成程成程。その時間、世界中で同時に複数の《門》が開き、そのどれかからソレはやって来るという訳だ」
臓硯の答えを引き継ぐのは、スーツを着た、紳士然とした白人である。
「同時に《門》? あり得るのか、そんなことが」
「あるのじゃろうな。少なくとも、ワシにアレを回収せよと指示した者は、それくらいの事は起こり得ると言っておったよ」
自分でも半信半疑なことを嘯いてみせるのは、目の前にいる集団に対して会話の主導権を握るためである。
発言した3人以外にも、侍やピエロのような格好の者や、仮面の大男の他、さらに数人、それぞれ強大な魔力を発する魔術師達が控えている。
彼らが、1年前出会った女に「捜せ」と言われた者達だ。女の情報は外見的特徴から所在地まで、かなり正確に網羅していたため、捜索自体にさほど苦労はなかった。今なお見つかっていない者もいるが、これだけいれば戦力は問題ないだろうと、臓硯は考えている。
問題にしたいのは、彼らの強烈な自己主張だ。
野心溢れる者、ただ力を、戦闘を求めている物、なにを考えているか分からない者……それぞれ、簡単に御せる者達ではなかった。それを、女に言われたとおりの報酬を提示し、或いは目的を素直に話して協力を仰いだり、なんとか集めることに成功したのだが、2日後の「計画」開始がもう少し遅れていたら、組織の主導権は別の者に掌握されていたか、或いは離反者が出たかもしれない。
「それで、アレが出てくる《門》にあたりはついているのか。それとも、当日、それぞれの《門》に我々の戦力を分散してぶつけるのか」
「《門》全てに行ってもらうさ。既に開く兆候を見せている数カ所は、今から行って出現前に制圧しておいて貰いたいのだがな?」
会話は主に臓硯と、集めた魔術師の中でも最高の位階
この男も、集まった魔術師を見て野心を刺激された者の1人であるが、計画の全容を知っているのがまだ臓硯1人であること、そして臓硯に指示をした何物かがいるらしいという事実が、彼を未だ実力行使で実権を握ろうとする行動に出させていないようであった。
「――ふむ。つまりマキリ殿は回収に邪魔が入ると考えているのだな。何処とも知れぬ異界より飛来する《神》を、我々以外にも狙っている者がいると?」
横から発言を挟んだのは、それまで黙っていた侍風の男だった。
「可能性の問題じゃ。《門》が開くという事実、魔術を識る者にはそれだけでも一大事であろうよ。現れた《神》、そこに居合わせたというだけで所有を主張しそうな者はいくらでもおる。降ってきた物を回収するのと魔術師から奪うのでは、厄介さが違うというもの」
「ふぅむ――」
臓硯の言葉に納得したのかそうでないのか、少し考え込む。が、すぐに結論は出たらしい。静かな目に、僅かに兇暴な光を浮かべ、
「了解した。では日本に開く《門》は拙者に任せて貰おう」
そう言って退出していく。
「んじゃ、ボクはすぐ近いけどここにすっかな。海の上で、高さも分かんないんじゃボクがいなきゃどうにもならねえだろうし」
「それじゃ、アタシはこっちのを貰うわねん」
その行動が合図になったのか、皆、数人を除いてそれぞれ思い思いの場所を選択し、準備に取りかかるため退出していく。
「君は行かないのかね?」
残った者の1人、最も発言の多かった黒人の男が口を開く。
その視線の先には、会議で一度も口を開かず、壁に寄りかかっていた少年がいる。
「僕は良いよ。こんな事で目立っても仕様がない」
黒髪黒目の、美しい容姿の少年だった。背が低く、華奢な体格であるが、しかし女性的かといえばそうでもない。仕草や立ち居振る舞いは確かに男性の物だった。
「ふむ? 《神》の回収には興味がないと。では君は何故ここに来たのかな? 上杉秀一君」
「生き延びる為さ」
秀一と呼ばれた少年は、当然のことのように即答した。
「僕にはある復讐者が付き纏っていてね。そいつを安全に排除したいから、代償として協力することにしたのさ」
そこに、スーツの男が口を挟む。
「――ふむ。成程成程。つまり君はこう言いたいわけだな。我等に劣らぬ力を持った魔術師である君が出来れば正対したくないと考えている、そんな危険な相手が、《門》の何れかにやって来るかも知れない、と」
秀一は答えない。
お喋りは終わりだとばかりに、無言で部屋を退室していく。
スーツの紳士もそれには特に頓着しない。
「いやいや面白い。実に面白いと思わないか兄弟。アウグストゥスよ。簡単な話かと思っていたが中々どうして楽しいことになりそうじゃないか」
「さて。油断は禁物だぞウェスパシアヌス。まだ、彼らの力をよく見せて貰っていないのだからな」
最後に残った2人の魔術師、アウグストゥスとウェスパシアヌスもまた、部屋を去る。
だから、その部屋は今、完全なる無人。即ち、残っているのは人ならざるモノが1人だけ。誰にも気付かれず立っていた
「そう、面白そうだろうウェスパシアヌス。いよいよ始まるんだ、僕の立てた計画が。僕の見た夢が。僕等の撒き散らす悪夢が。さあさあ、幕はこれから上がる。
3
衛宮士郎は地獄を見ていた。
臨死体験等、イメージで作られた地獄にいる夢を見ている、という意味ではない。
はっきりと記憶され、脳と網膜に溶けて貼り付くように刻まれた、士郎の知る限り最大の悪夢であり、衛宮士郎が生まれた瞬間を意味する救済の記憶でもある。
誰も救うことができなかった。
自分もまた、救われることはないのだと絶望した。
しかし、そう思った矢先にやって来た救いの主を見て、自分もああなりたいと思ったのだ――
回想を振り払うようにして、士郎は覚醒した。
激痛のせいもあるが、嫌な臭いを嗅いだことも理由の1つである。
焦げた肉、そして血。先ほどまでの夢のような、ある意味で衛宮士郎に馴染み深い臭い。
「く……」
痛みと共に、感覚が少しずつ戻ってくる。
身体に触れている感触からするに、どうやら平らな床ではなく、デコボコした固い鉄のようなものに、ちくちくと肌を刺す砂状の何かが撒かれているようだ。
いや、本当に砂なのかもしれない。
風を感じる。火と血の臭いを伝える風は、微かに潮の香りも運んでくる。ひょっとすると、自分が倒れている場所は海岸なのかもしれない。その下にある固い感触がなんなのか気になるが、未だに視覚がはっきりしないために確認できない。
(飛行機が墜ちて……投げ出された? なんで?)
何があったのか、上手く思い出せない。
(確か……何かが飛んでて)
そう、何かが。それは現実とも思えない物、だった、ような。
「う――くっ」
動かそうとした瞬間、再び全身を走った激痛に思考を中断される。
もし本当に乗っていた飛行機が落ちたのなら、生きているだけでも奇跡と言えるだろう。人間、車の事故でも死ぬのだ。飛行機のスピードなら、飛んでいた高度なんて関係なく、落下の瞬間に他の座席なり床なり天井なりにぶつかって死ぬか、衝撃でベルトに内臓を潰されて死ぬだろう。
200人以上の乗客がいるのだから、確率の問題でいえば中には命がある者や、致命傷ではあるが手当次第では蘇生可能な者もいるかもしれないが……
「これ……乗ってた飛行機、かな」
そうかもしれない。よく思い出せないが、とにかく上空では怖ろしい目に遭ったのだ。自分が放り出されたように、その飛行機の残骸が同じ所に飛ばされていて、砂まみれになって転がっている上に自分が倒れているのかも。
いくつかの矛盾、奇妙な点が脳裏をよぎるが、やはり頭は上手く働いてくれない。
「とにかく、起きなく、ちゃ」
そうだ、状況を推理するのは後だ。
血の臭いがする。おそらくは自分の物も含まれているだろうが、他にも傷ついた人間がいるのだ。痛みは引かないし、視力もまだ完全には戻らないが、我が身を可愛がっている場合ではない。もし自分のように、まだ生きている人間がいるならば助けなければ――
俯せのまま、脚を踏ん張り、手を前に伸ばす。
が、そこには期待した取っ掛かりはなく。
何か穴のようなものに落ちて、士郎は再び意識を失った。
飛行機が文字通り降ってきた時には流石に泡を食った。
まさか《門》を監視しながら襲撃者を待っている中、旅客機の墜落事故に巻き込まれて死んだのでは笑い話にもならない。
ティトゥスは、事の張本人である癖にヘラヘラと笑ったままの少年を睨みつけた。
「何故旅客機を墜とした、クラウディウス。《門》に余計なモノを近づけるなとの言葉、忘れたのではあるまいな」
「チッ。五月蠅ェな。しゃあねえだろ、開いた《門》に向かってたら、邪魔なのが飛んできたんだから。言うだろ? 目撃者は消せ、てな。ティトゥスの管轄に墜ちたのは偶然だろうが」
帽子を被り、顔を上半分を黒いマスクで覆って目だけを出した少年は、ティトゥスの威圧的な視線にも臆することなく、「それとも、ひょっとしてビビッちゃいマシタカー」等と挑発的な事を言ってくる。
「何にせよ、近くであるのは変わりあるまい。一応、制圧したこの一帯には結界を張ってある故、事が済むまでは此処に異変が起きてもそうそう感付かれはせんだろうが、そのすぐ外側で旅客機が行方不明となれば、この辺りも捜索の範囲内となろう」
「五月蠅ェって言ってんだろ。それより、アレか? 《門》からお出ましになったカミサマは」
クラウディウスは不利な話題を打ち切って、砂浜にある「モノ」を指さす。
「うむ。2時間ほど前に出現した。搭乗者は無し。旅客機が墜落してから、騒ぎになっていないか今まで周囲を探っていたが、その間に勝手に動き出した様子もないな」
そこにあったのは、人型の鋼鉄だった。
否、人型と呼ぶには大きすぎる。人を模して造られたのなら、全長50メートルというのは冗談でしかない。
鋼鉄の巨人。或いは、神像とでも呼ぶべきそれは、砂浜に身を横たえ、自らが押し潰した建造物に背を預けるようにして眠っていた。
「ケッ。なんかボロっちいなァおい。あの爺ぃに担がれたか、これもハズレなんじゃねぇの?」
クラウディウスの言葉は無理もない。
倒れている青き神像は、無数のヒビ割れが全身に走り、ところどころ溶解した跡のようなものも見られる。
おそらく本来は兜飾りのような物なのだろう、頭頂部から生えている角は途中で折れ、両足に付いている筈の巨大な盾のような部分など、片方は欠けて半分ほどの大きさになっていた。形を保っているもう片方も、やはり無数に走った亀裂で元の姿は見る影もない。両手両足がまだ存在していることが不思議なほどであった。
「さながら敗残兵の如く、か。確かに、これではもはや鬼械神とは呼べまい」
彼ら《アンチクロス》を招聘し、また他にも強力な魔術師を今なお集めている間桐臓硯は、《門》から特別な《神》が現れると言った。即ち、最高位の魔導書のみが招喚を可能とする模造神、デウス・マキナ。
その中でもこれはさらに特別で、魔術師が魔導書を通し、魔力で容を作った魔術情報体ではなく、実体を持った最強の鬼械神だと言うが――
「真逆な。このような物が我等の計画に必要だとは思えぬ」
尤も、鬼械神の強さは結局の所、それを駆る魔術師と魔導書の強さだ。そこに横たわる鉄塊が特別だとて、それは例外ではないだろう。戦力とは別のところで、これは特別な機能を有しているのかもしれない。
(ここまで破損して、その機能が残っていれば良いのだがな)
そんなことを心中でひとりごちてもみる。
「ふん、まあ良いや。それでこれからどうすんだよ、ティトゥス。回収班呼ばねえの?」
どうやら期待した《神》が残骸とすらいえる形だったことで興味をなくしたらしく、クラウディウスはそんなことを聞いてくる。
「先程呼んだところだ。これを狙って襲撃なり邪魔なりがあるやもしれんと言うから発見の報告まで遅らせて待ってみたが、とんだ無駄骨よ。して、お主はどうする」
「あン? ボクはどうすっかな。なんかさっきカリグラが苦戦してるとか通信入ってたけど、そっちでも見に行くかな」
「……成程、敵も同じくハズレを引いたということか。拙者が行きたいところだが、移動手段が無いな。仕方ない、拙者は予定外の仕事をしておくとするか」
「仕事?」
あれの回収の他に何かあったか、という顔で首をかしげるクラウディウス。
どうも本気で疑問に思っているらしい、と嘆息する。
「面倒な事だが、目撃者の消去よ。誰かが余計な物を墜としてくれたおかげでな。放っておいてもいずれ死に至るだろうが、万が一救助されて見た物を言い触らされても厄介であろう」
ああ、成程と頷いてクラウディウスは、嫌味を無視して己が鬼械神、《ロードビヤーキー》へと歩いてゆく。
そしてコクピットハッチに手をかけ、
「んじゃな、ティトゥス。そのオモチャ、ちゃんと持って帰れよ」
厄介事を押しつけるようにそう言い、身軽にひょいとジャンプして乗り込む。
起動したロードビヤーキーは、横たわる鬼械神には頓着することもなく、突風を思わせる恐るべき速度で北西へ飛び去り、あっという間に見えなくなった。
「……さて」
実に面倒なことだが、やらない訳にもいかない。
鬼械神さえ持ち帰れば文句も言うまいが、これがクラウディウスの言うように「外れ」である可能性も否定は出来ない。あれもやらずこれもやらずで帰る事自体はさほど気にならんにしても、「当たり」を引いてきた者と対比されて行動権を失うのは少々面白くない。
ティトゥスは、そうして砂浜に散らばる旅客機の残骸と乗客の死体の中、生きている者にとどめを刺すべく歩き出した。
(生存者は……2,30といったところか)
意外といえば、意外な多さだ。今回の墜落は不時着に失敗した、等という生易しい事故ではない。鬼械神の攻撃を受けて撃墜され、これだけ生きているというのは尋常ではない。
「鬼械神……か。ふむ、あれのせいか? ……真逆な」
横目で、物言わぬ鉄塊を見遣る。が、それこそあり得ないことだ。
瀕死の人間をまとめて救う大魔術など感知していないし、鬼械神は搭乗者たる魔術師がいなければ意味をなさない。いくら神を模倣しようと、それが自らの意志を持つことはない。
なんにせよ、無意味な救済だ。死を多少遅らせたところで、どれも放置してよい傷でもなし、なによりこれから自分の刃によって直接殺されることになるのだから。
「面倒なことだ」
殺すことに抵抗を感じたことなどないが、それでもティトゥスが求めているのはもっと別のものだ。それは自分を殺せる可能性を持った者、自分の出会ったことのない業を使う者、即ち、強者。
ティトゥスにとり、強者と戦うこと、それに打ち勝つ自分を作ることが全てであり、故に臓硯の言葉にも乗ったのだが、ここでやることといえば無力な一般人の殺害となれば、やる気も削がれようというものだ。
死体同然の男を見下ろす。
傷は深い。おそらくは何が起こっているかもよく理解できていないのだろう。茫洋とこちらを見返してくるだけで、大した反応もできない。
そして、その男に突き立てるべく、気怠げに刀を振り上げ――
その時だった。
予想外の方向から音が聞こえてきたのは。
士郎が再び目を覚ましたのは、轟音と、何かが地面に落ちるような重い音が響いた時だった。
「う……」
静かに、目を開ける。
どこか、薄暗い穴に落ちたようだが、すぐ上に外が見えるところからすれば、思ったよりも深くはないらしい。
いや、穴ではない。
肌の感触はやはり意識を失う前と同じく金属のものだし、背もたれはないが座席らしき物も設置されている。穴というよりはむしろ「部屋」というべきだろうか。
「なんだ……ここ」
身を起こしてよく見れば、座席の前には計器のような物もあり、運転席、或いは操縦席といった具合だ。
「飛行機の操縦席部分……て訳じゃないよな」
内装からして違う。少なくとも、飛行機の操縦はバイクのように跨って行うものではないだろう。
そうしているうちに、外では会話らしき声が聞こえてきた。
ヒャハハ、と甲高い声で笑う子供の声。少女か、或いは変声前の少年なのか。
続いて聞こえたのは、低い静かな男の声。
驚くべき事に、その男は少年が飛行機を墜落させた、と言っている。何故、それにどうやってそんな真似をしたというのか。
いや、それよりもだ。
「早く……ここから」
出なくては。
あいつらによってこの事故が起きたのなら、助けを呼んでくれることもないだろう。自分がどれくらい気を失っていたのかは分からないが、子供の声はまだ生存者がいるようなことを言っていた。なら、それは衛宮士郎の役目に他ならない――
「う……くっ」
だっていうのに、立とうとするとまた倒れてしまう。痛みはほとんど引いたが、まだ脚は自分の物でないかのように感覚が薄い。
「……けど」
嫌な予感がする。
物騒な会話の内容とか、声の距離からしてあいつらは死体がごろごろ転がってる中で平然としてるらしいという事実とか、何より外に感じる、巨大な魔力の塊が、危機感となって脳に突き刺さる。
しかし、ある意味で意外なことに、その巨大な魔力はすぐにその場を離れていった。
立ち上がろうと悪戦苦闘しながら、士郎はその魔力の源、上空へと飛び去っていった緑色の巨人を見る。
「あれ……は。いや、今はいい。人数が減ったんなら好都合だ」
残った男は「目撃者の消去」と言った。
嫌な言葉だ。響きも気に入らないし、その意味するところも1つだ。さらに言えば、見てしまったというだけで、直接関係ない者を手にかけることを当然のように語る奴にも腹が立つ。
あと、何より。
そんな映画の世界のような場面に、
手近な物を掴んで杖代わりにしてなんとか立ち上がる。やけに肉厚のわりに切れ味の良い刃物だったらしく、体重をかけたら思ったよりも床に深く突き刺さってしまったが、この際気にしてもいられない。
「や……め」
ここから見える筈のない光景、刀を持った男が乗客を、折角助かった命を無慈悲に虐殺しようとしているのが視える。何故か、なんて気にしていられない。とにかく、救わなくては。
しかし、身体は満身創痍、あの魔術師にして剣士と戦うことはおろか、目の前に立つことすらおぼつかない。そも、相手には自分が見えてもいない。
なんとかして、せめてあの瀕死の人々に向けられた刃を止めなければならないのに。
けれど、ここからでは手が届かない。
――もっと、腕が長ければ届くのに。
脚は震えて、ここに立つだけで精一杯だ。
――もっと硬い、鋼鉄の脚なら歩くことが出来るのに。
彼らを救う力が、衛宮士郎にはない。
――もっと、力があれば。
ぎり、と音を立てて奥歯を噛み締める。自分の無力を罵倒するのはこれで2度目だ。
おそらくは、これからもっと増えるだろう。衛宮士郎が正義の味方を目指す限り、力及ばず救い損ねる人々を見る度に俺は自らを罵るに違いない。
――けれどそんなことで、己の無力を許せる訳じゃない。
今だけでも良い、俺にもっと力があれば、こんな理不尽、許してはおかないのに――!
ヴン、と、テレビのスイッチを入れた時のような高周波の音がした。
同時に、ガシャガシャと金属のこすれ合う音がそこかしこから響いてくる。
「――え?」
目の前、バイクのようだと感じた装置のあたりに、一冊の本が、こちらに表紙を向けて浮かんでいる。表題と思われる英語は――
「ネクロノミコン……新……釈?」
見れば、その本の表紙は血で濡れていた。未だ乾いていないそれは、中身のページにもぐっしょりと染みこんでいる。
その、開いたと同時に破れてしまいそうな本は、そんなことは頓着する理由にもならないとばかりに、あまりに自然にパラパラとめくれていく。
気付いた時には、既に入り口は閉まっていた。が、壁面は以前にも増して広い視界で、海岸に転がる旅客機の残骸、死体、そして驚愕した表情の男を映し出している。
「これ……は?」
士郎が無意識に発した言葉に応えるように、目の前にホログラフだろうか、半透明な板のようなスクリーンが浮かび、英文が書き出されていた。
I'm innocent rage.
I'm innocent hatred.
I'm innocent sword.
I'm DEMONBANE.