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2004/02/29

Recurring Nightmare 第4話「Sleight of Mind」

   1


「カリグラ殿」
 老魔術師の声が、出撃しようとする巨体の魔術師を呼び止めた。
 カリグラは立ち止まりはしたが身体ごと向き直りはせず、髑髏を模した仮面だけを間桐臓硯に向け、無言で用件を促した。
「お主の向かう《門》じゃが、現れるのは《神》だけではないかもしれん」
「……む?」
 恐らく仮面の下では怪訝な顔をしているのだろう、言っていることが分からない、という雰囲気が伝わってくる。
「どういうことダ。我等は《神》の回収に赴くのデはないのカ」
「基本的には、そうじゃよ。しかし、それだけでもない。は魔術師の多い場所に現れる可能性が高い。ある種の生存本能であろうな。とすれば、現れるのはロンドンかアーカム」
「う……ム?」
 臓硯は今、奇妙な言い回しをした。
 まるで、それが意志を持つ生物であるかのように――
「……成程。魔術師でも《神》でもなけレば」
「その通り。必ず、必ずや回収してくれよ。ある意味では《神》と同等以上に価値があるでな。万が一の失敗も許されん。出現の兆候があればその時点で制圧を開始してくれ。フォローはワシの私兵がやる」
 カリグラの言葉に満足そうに口を歪め、そう早口で指示を出すと、臓硯は呵々と笑いながら背を向け、その場を歩み去った。


   2


 《門》が開いたのは、日本だけではない。
 その中には、アンチクロスを以てしてもあらかじめ制圧するのが不可能な大都市や、開く直前まで位置が特定できないものも存在した。
 そんな都市の中でも特に魔術師が多い、イギリスはここロンドンでも、《門》の出現による混乱は起こっていた。
 いや、それが感知できる故の混乱といってもいい。ここに開いた《門》からの鬼械神の出現はなかったため、知らなければどうということはなかったろう。
 世界最大の魔術研究機関の1つである魔術協会、その本部である通称「時計塔」が置かれたロンドンでは、表向き、普段の生活を取り繕いながらも、事情を知り、「裏側」に属する者達の間ではかつてないほどの騒ぎになっていた。

「おかえりなさい凛、それでどうでした」
 魔術協会が協会員の正魔術師に提供する個人寮の一室、ただいまセイバー、という声に応え 金髪の少女は戻ってきたその部屋の主である魔術師、遠坂凛に声をかけた。
「結論から言えば、こっちから出来ることは何もないそうよ。何処かの異世界からこちらに向けられて開かれた《門》。こちらから向こうへの伝達は物質も情報も全くの不可能。向こうからもおそらくは送ろうと思った物しか通さないらしくて、どこから何の理由で開かれたのかも分からないってさ」
 先程まで上位の魔術師達による対策会議の結果を聞いていた凛は、凝った肩をほぐすような仕草をしながら、苛ついた声で吐き捨てた。
「そりゃ何にも分かってないってことじゃない! ったく、アーカムはもうちょっと調査に積極的らしいんだけど、こっちはほんっとに事なかれ主義なんだから」
 入学する方間違えたかな、なんてことをぶつぶつと呟いている。
 まあまあ、と宥めるように両手を振りながらも、セイバーの表情にも焦りがある。
「しかし、それでは」
「ええ、世界中に開いたっていうけど、近くの支部に監視させるだけで、特に何かするつもりはないみたいよ」
「そんな! 日本にも開いたという2つの《門》と、旅客機の行方不明事件が関係ないはずがない。何故、そんなことを」
 今度は自らも激昂するセイバー。
 無理もない。2時間前に起こった件の旅客機が消息を絶った事件は、イギリスでは報道すらされていない。冬木町からの国際電話で知ったことだ。それだけでもショックを受けるには十分だというのに、時計塔内で得た門の位置が、旅行誌や機内誌で知った、イギリスと日本を結ぶ旅客機のコースの途中に入っていれば最悪の事態しか頭に浮かぶまい。
 それでもパニックにならなかったのは、凛が、衛宮士郎と互いに魔力を提供し合う魔術的なリンクを持っていたからだった。使い魔として維持に膨大な魔力を必要とするセイバーを2人で現界に繋ぎとめるための措置だったが、思わぬところで役に立ったといえる。
 そんな訳で、そういう情報源を持たない為に電話口で泣き崩れているらしい桜に、詳細は言えないが士郎が生きているのは確実であることをなんとか説明し、ひとまず安心させてから1時間半。
 そうは言っても生きているだけで安心など出来るか、ということで情報を集め出したものの、いきなりの協会の不干渉宣言で壁にぶち当たってしまったのだった。

「なんか変なのよね。今のところ何か出てきたって報告もない《門》なのに、魔術結社の一部は何かが出てくるって確信してるらしいのよ。で、そういうのの中にはかなり危ない連中も混ざってるから、衝突を避けるための不干渉って感じ。そもそも、結論出すのが早すぎるわ」
 魔術協会は、余人の目に魔術が触れるのを極度に嫌う。概ね、どこの魔術結社や研究機関もそうなのだが、協会のその原則は人命よりも優先されるとされ、秘密主義が徹底している。
「――では、シロウの乗った旅客機は」
「その手の連中に何かされた可能性は高いわね。そこで開いた《門》自体の影響の可能性も否定はできないけど」
 答えながら、凛はごそごそと旅行用の大きなバッグに荷物を詰め込んでいる。魔術研究用の器具から生活用品まで、何か入りきらなくなっては入れる順番を変えてみたりと、不器用ながらもいそいそと作業を進めている。

「凛? 何をしているのです?」
「決まってるじゃない。日本に帰るのよ。ここにいたって情報入らないんならどこにいたって一緒でしょ。だったら自分で調べに行くしかないじゃない。……その、士郎のことも心配だし」
 ああでもない、こうでもないと荷物の整理に悩みながら、あなたも準備なさい、と続ける。
「……成程、確かにそうだ。それに、私も日本が事件の中心であるように感じます」
 勘ですが、とセイバーは付け加えるが、凛は少し考えて「同感ね」と答えた。
 セイバーの直感をほぼ全面的に信頼していることもあったが、凛も似たようなことを感じてはいた。それはどこへ行くべきだ、という具体的な指針を得るものではなかったが、ここにいては何か本来の流れを止めているような気がしてならなかったのだ。
「一応、こっちの《門》も見にいきましょ。ほんとは開いてすぐに見に行きたかったけど、調査員が邪魔だったしね」
 重くなるしかない雰囲気を払拭しようとしたのか、凛は敢えてこれから遊びに出掛けるような明るい声で話す。セイバーもそれに応じて、寝起きの凛は力が出ませんからね、と軽口で答えた。


   3


 宙に浮いているのか、それとも海底に沈んでいるのか。
 肌にまとわりついているのは気体なのか、それとも液体なのか。はたまた、何かに触れているということすら錯覚で、実際には真空の中に放り出されているのか。
 触覚を失う、ある種嘔吐感めいた浮遊感は、何度経験しても慣れないものだと思う。
(……何が、起こった?)
 否、それが分からない程、混乱はしていない。
 要するに、どうやら自分は罠にかかったらしいという事実を認めるのが癪で、混乱したふりをしようとしただけだ。
(力……が、出ない)
 こちらは、罠というより、単なる使い過ぎだ。いや、その結果として罠に嵌ったのだから、これもまた罠の一部というべきか。
 それに、傍に彼女が永遠の伴侶と決めた男の存在を感じない。これもまた、狙い通りということなのだろう。まさにやられっぱなしだ。
 ほんの僅かな成長、神を少々屠った程度で奴に比肩しうる力を得たと思った結果がこれだ。否。これはこれで予想の範囲内ではある。むしろ近付いたが故の正面衝突で、奴もある程度本気にならざるを得なくなったと見るべきだと、少女は己を叱咤する。
 折れるつもりはない。絶望など、疾うに乗り越えた。何より、彼女はまだ死んでいない。
(今度は、どこに)
 行くことになるのか。
 出来れば、空気――経験上、およそ2割の酸素と8割の窒素の組成がやはり一番美味いと思う――と飲める水があれば文句はない。
(ああ、それから)
 おそらく、今度も叶うことはないのだろうけれど。
 贅沢と分かってはいるが、これだけは棄てるつもりはない。

 人々の暖かい笑顔が、そこでくらいは理不尽から守られていますように――

 近付いてくる《門》の出口を感じながら、少女は切なる祈りを胸に、再び目を閉じた。


   4


 ロンドン市の中央西寄りにあるトラファルガー広場は、最大でおよそ5万人が入れる広さがあり、その中央に立つ英雄とともに、4隅を固めた獅子の像に見守られている観光名所の1つである。
 早朝であるにも関わらずごった返すその観光客――やはりというか、日本人も多い――の中、凛とセイバーは厳しい思案顔で地面を見下ろしていた。
「なんとなく空中に開いてるイメージがあったけど、地面に出来ることもあるのね」
 そんなことを言いながら、つま先で石畳を叩いたり引っ掻いたりしている。
「はい。私も《門》という言葉からそう連想してしまいましたが、よく考えれば魔術陣を描くのは基本的に床ですから、こちらが正しい《門》のあり方なのでしょう」
 セイバーの答えに成程、と頷きながら、凛はその場を行ったり来たりしている。

「悔しいな。向こうから作ったとはいっても折角の魔法なのに、何にも分からないなんて」
 それは、世界中に開いた《門》に関わる魔術師達の多くが共通して抱いている思いであろう。
 魔術のうち、他の方法――主に科学――で再現が不可能な業を、協会では魔法と呼んでいる。世界の根源に至る事に成功した一部の者だけが修得できるとされるそれには、異世界への干渉行為が含まれる。つまり、現在、世界中に開いて魔術師達を悩ませている《門》である。
 尤も、この《開門》を実行した側の世界においても、それが魔法である確証は得ようもないのだが。
 それはさておき、凛の知る限り、一部の例外を除くほとんどの魔術師が目指す秘儀が魔法であり、その成功例らしき物が今、ここにあることになる。
 そうなれば、己の研究を一足飛びに進められる可能性に飛びつくのは当然であり、そして同時に己の手が(まだ)届かない奇跡であることを確認しては、意気消沈して去ってゆく訳だ。
 ひょっとして、詳しく調べることで「自分には決してできない」ということが証明されてしまうことが怖くての不干渉なのではないか。凛はそんなことも勘繰ってみる。
 可能性がないとはいえない。魔術師のまずすべき事は、己の研究が全て無駄であると覚悟することなのだと、父から聞いたことがある。それほどに魔法とは遠い奇跡であり、おそらくは何か、「魔術」の研究だけを続ける限り、決して届かないような仕組みがあるのだろう、と凛は考えている。
 そして、魔法を目指すことだけが生き甲斐の魔術師が、その事実に耐えられるのか。
 無駄を覚悟しろ、というのは絶望しろということだ。目指す先に希望などないと理解してなお、それでも良いと走り続けられる、どこかのバカ者のような人間は、そういるものではないだろう――

「ところで凛、気付いていますか?」
 もうすぐ雨が降りそうですよ、とでも続きそうな気楽な声で、セイバーが呼びかける。
「ええ。私達かしら。それとも?」
 その声の裏に隠された微かな緊張感を正しく理解して、凛も同じように気楽な声を装う。
 最初は気付かなかったが、《門》への時間をかけた魔力探知の副産物というべきか。魔術がこの近くで行使されているのが分かる。
「さあ。魔術の内容は分かりますか? 凛」
「気配遮断……あと姿隠しね。魔術そのものの精度は高いけど、漏れ出てくる魔力の濃度が結果として行使してる魔術を教えてる。大魔術師ってのも困りものね」
 軽口を叩きながらも、凛の声からは少しずつ余裕が失われつつある。
 漏れているのは魔力だけではない。背筋が凍るほど、或いは脳髄を灼かれて思考が真っ白になるような錯覚を覚える程の殺気が、辺り一帯を覆っている。
 見れば、人間がほとんどいなくなっている。バスや観光客が常に賑わっている広場が、いつの間にかそこらの田舎の公園さながらの風景になっている。
 おそらく鈍感な者や、直接ここに用がある者以外はここにはいないと思われた。「何故か」ここにはいたくない、ここに近付くべきでないと感じたのだろう。そして今なお、ここから離れていく人間は止まらない。
(……なによ。それじゃほとんど結界じゃない)
 或いは、実際にそうなのかもしれない。
 ならば、今に至るまでこの異常事態に気付かなかった、または気付いてなお残る者を、その術者は逃がすつもりはないだろう。
「ち――マズったかな、こりゃ」
 標的が自分達である可能性を考えていたから下手に動けなかったが、これではほとんど罠に嵌ったようなものだ――

「っ!? 凛!」
 が、セイバーが突然、叫び声を上げる。
 言われなくても気付いている。先程から気配の主のことなどどうでもよくなるほどの濃密な魔力が、足下で発生している――
「《門》から……何か出てくる!?」
 この世界の魔術師が何をしようとも反応さえ示さず、只の魔力の塊でしかなかった《門》は、今この瞬間、本来の役目を思い出したように起動して、この世にあり得ざる何かを生成しようとしていた。
 地面に光る魔法陣から立ちのぼるそれは、魔力の光が作る遺伝子の螺旋のように見えた。或いは、人形を編み上げる糸か。
 その光は寄り集まり、編まれ、融合し、色を付け、重量を得て、少しずつ形を得てゆく。
「人……間?」
 その姿は、2本の腕と脚を持ち、白い肌と長い髪の少女。異界よりの使者と呼ぶには幼すぎるといえるほどの、11,2歳に見える小さな子供だった。
 少女は出現の際には宙に浮いて直立していたが、どうやら意識がないらしく、そのまま地面に倒れ込む。
「え……ちょっと!?」
 それまで見とれるように身じろぎもしていたかった凛が、我に返って慌てて駆け寄る。
 しかし、少女に迫る者は1人だけではなかった。
「その娘を渡セ!」
 叫び声とともに、暴風を思わせる勢いで大男が走り込んでくる。
「あいつが、気配の――! 目的はこの子!?」
 気付きはしたが、遅い。少女と男の間にいる形の凛を単なる邪魔者としか認識していないだろうその男は、蠅でも払うかのように無造作に、その岩のような拳を凛の頭にぶつけ――

「くぅぅっ!」
 しかし、苦痛の声をあげたのは凛ではない。
 間に入ったセイバーが、不可視の剣で大男の拳を受け止めていた。
「……貴様、何者!」
 膨大な魔力に支えられたセイバーの筋力と銀の鎧の重量を以てなお、完全には殺しきれなかったダメージに顔をしかめながら、誰何の声を発する。
「お前らこそ何者ダ。その魔導書は、このアンチクロスのカリグラが貰い受ケる。邪魔をするならバ、死ね」
 髑髏の仮面を被った大男は、意味の分からないことを、しかし堂々と宣言した。

「――魔導書!?」
 その言葉が意識を失っている少女に向けられたものであることは、カリグラと名乗った大男の様子から分かった。
 しかし、それはどういうことなのか。少女から強力な魔力は感じるものの、どう見ても人間だ。或いは、多くの魔術を識る者という意味で使った、この男独特の言い回しなのだろうか。
 なんにせよ、いきなり殴りつけられて黙っている凛ではないし、何よりこんな小さな子供を殺気を滲ませている男に渡す訳にはいかない。
 決断からの行動は早い。以心伝心というべきか、セイバーは広場のカリグラと入り口の間を塞ぐようにして誘導してくれていた。
(ごめん、その場は頼むわ)
 己の使い魔サーヴァントに《念話》でメッセージを送り、凛は少女を抱き上げて走り出した。


「待て!」
 後を追おうとするカリグラの道を塞ぎ、セイバーは不可視の剣《風王結界》を構える。
「事情は知らぬが、あのような小さな少女を、あなたのような者に渡す訳にはいかない。それに魔術師が力尽くで何かを手に入れようとすることがどういう事か、知らぬ訳でもない。このまま去るならよし、なお後を追うというのなら、このセイバーが相手をしよう」
「ぬゥ――」
 足を止めるカリグラ。
 小柄な少女の言葉で2メートルを超す大男が威圧される姿は端から見れば滑稽だが、この場合カリグラは正しい。
 少女の言葉に込められた迫力もさることながら、発している魔力は先程逃がした小さな少女に勝るとも劣らない。意識を失ってなお漏れ出ていた魔力なのだから比べることなど出来ないが、しかし目の前の少女もまた当然、全力ではないだろう。
 何より、剣士セイバーと名乗った少女が構えている武器。カリグラの魔力を込めた拳を受け止めてみせてなお、感触からしてヒビすら入ってはいまい。剣であることは分かったが、ただ見えないだけが頼りの魔力剣ではないのは明らかだ。
 しかし、いつまでも動きを止めている訳にもいかない。ただでさえ目的はこの戦闘に勝つことではなく、逃げた者を負うことなのだ。時間をかければかけるほどその達成は難しくなる。

「――ふんっ!」
 焦れたカリグラは、そのまま踏み込んで拳を振るう。先程のような手加減はない、人体の破壊に足る意志と魔力を込めた、必殺の攻撃だ。
 が、庇うものがないなら受ける義理はないとばかりに、セイバーは後ろに跳んで躱す。攻撃を回避しても入り口を退かないあたり、カリグラの意図を正しく把握しているらしい。
 続けて2度、3度と拳を振るうが、どれも当たらない。
 セイバーが見ているのはカリグラの目。如何に威力があろうと、狙う場所さえ分かれば後は音と直感で十分であるらしい。
 そして時折思い出したように繰り出されるセイバーの魔力剣。威力も間合いも未知数となれば迂闊に喰らう訳にもゆかず、結果として必要以上に大きく後退してしまう。
 間合いが掴めればもっと戦いようもあるのだろうが、敵もそれが分かっているらしい。剣の正しい形状を悟らせるほどの攻撃はせず、あくまで広場の外側に移動しすぎないように押し返すため、敢えて一度だけ大振りをする。
 悔しいことに、完璧と言っていい時間稼ぎであった。


 セイバーは実のところ、カリグラが思っているほどの余裕がある訳ではなかった。
 まさか人間でありながら素手でこれほどの一撃を繰り出す者がいるとは思わなかった。2年前に1度だけ戦ったバーサーカーの斧剣に比べれば当然ながら数段劣るが、普通の人間が喰らえばその箇所を身体から引き千切られ、障害物は苦もなく破壊されるだろう。石造りの建造物ですら、例外ではないかもしれない。
 つまり、喰らう側の耐久力に上限がある以上、だと考えるべきだ。
「く――」
 突き出された拳を、顔を逸らして躱す。暴風にも勝る、まるで列車のような風切り音が耳元を駆け抜けてゆく。
 顔をしかめたくなるのをぐっと堪える。あくまでこちらは、「焦る子供をあしらう格上の戦士」だ。顔色1つ変えずに必殺の一撃を回避することで相手の動きを封じているのだから、心の裡を悟らせる訳にはいかない。
 そう、敵がバーサーカーに劣るというなら、セイバーもまた2年前のセイバーかのじょに劣る。
 セイバーを最強の剣士たらしめているのは剣技でも純粋な意味での肉体的素養でもなく、人ならぬモノ、最強の幻想種である竜の血を引くが故の膨大な魔力である。それが全身の筋肉を強化し、剣の威力を増し、未来予知に近いほどの直感を働かせていた。
 セイバーを現代に実体化させた《聖杯》のサポートを失った今、彼女を支えている魔力は凛と士郎という2人の人間の魔術師が供給している。そのほとんどは存在するだけで消費され、戦闘に使える量に関しては、始めに士郎によって招喚された時の状態にも劣る。
 それでも常に供給され続けてはいるので、使い切ったからといってすぐさま消滅するような事態にはなるまいが、無茶な行動、特に「剣」を使うようなことは出来るだけ避けねばならないだろう。


 攻撃を繰り返しながら、カリグラはだんだんと苛立ちが募っていく。
 もともと、気の長い男ではない。戦闘において遊ばれるどころか、ちょっとした挑発的な言葉でも彼は反射的に拳を振るう。
 それが今、かろうじて理性を保っているのは、相手が実力を欠片ほども出していないのが分かるからであり、その恐怖とも畏怖ともいえる感情が集中力を乱すなと叫んでいるのだった。
 だから、待つ。攻撃しながら、少女が何らかのミスをするのを、或いは状況を動かす何かが起こるのを。敵を防御ごと破壊する「魔術」を、回避させずに放つタイミングを。

「な……なんだ!?」
 かくして、その機会は来た。
 鈍い人間なのだろう。広場に張られた結界、敏感な人間ならばとても近寄ろうとは思えない剣呑な雰囲気に気付くこともなく、観光客風の若い男女は広場にやってきて、人外の領域の戦闘に驚きの声を上げていた。
 魔術師は目撃者を嫌うとはいえ、本来ならば構っている余裕のない状況である。
 しかしカリグラは、セイバーらが彼らアンチクロスの邪魔をするためではなく「子供を守る」ために戦うといったことを覚えていた。
 となれば、利用しない手はない。
「うおぉぉォォォ!」
 雄叫びをあげながら、体当たりをするような勢いで大きく腕を振り回す。それに合わせて大きく後退するセイバー。
 そして、自身も後退して距離を取りつつこれ見よがしに身体の向きを変え、男女の存在に注目していることをアピールしながら、彼の魔導書に力を注ぐ。
 カリグラの前面に霧か湯気のような物が集まってゆく。やがてそれは液体となり、巨大な人間の顔のような形を取り始めた。それに拳を当て、
「《水神クタアト》! 殺セェェェ!」
 アッパーのように振り上げ、男女めがけて押し出した。

「貴様、関係ない一般人を――」
 セイバーは歯噛みするが、魔術の行使を止められる距離ではない。かといって無視することなど出来まい。セイバーにとって彼らは先程の少女と同じ「守るべき弱者」なのだから。
 そしてセイバーはカリグラの予想通り、男女の盾になるべく走り出した。
 魔力の「顔」は弾丸の如く目標に迫ってゆくが、流石はというべきか、それに勝るスピードで駆け寄ったセイバーは間に入り、「顔」の直撃を喰らうことになる。
「ふ……」
 ほくそ笑むカリグラ。が、しかし。
 その直後、驚愕することになる。


「なんダと――」
 カリグラの声が聞こえる。
 セイバーは応えない。ダメージでその余裕がないから、ではない。
 カリグラが魔導書の力を乗せて放った「顔」は、セイバーに当たる直前、その一睨みの眼光で跡形もなく霧散していた。
「鬼械神並みの抗魔力ダと、馬鹿な!?」
 続いての攻撃を行うことも忘れて呆然としているカリグラを無視して、セイバーは震えている女と、それを庇うように前に立っている男に笑いかけた。
「逃げてください。この場は危険です」
 気丈にも、男はパニックを起こすことなく頷いて、すぐに女の手を引いて走り出した。
「行こう、祥子」
「あ、待って、正治――」

 無事、逃げおおせたことを確認して、セイバーは振り返る。
 さて、こいつをどうしてくれよう。これで懲りて撤退してくれればよいのだが。
 このまま戦闘が長引けばそのうち関係ない人間に被害が出る。かといって倒すつもりで相手をすればその分凛への負担が大きくなるのだが、思った以上にこの男は危険だ。このままではいつどんな隙を突かれるか分からない。
『もういいわ。充分距離が稼げた。戻って良いわ』
 悩んでいるところに凛からの《念話》は渡りに船だ。倒すべき目標を失えばカリグラもこれ以上は暴れまい。尤も、素直に逃がしてくれるとも思えないが……
『……令呪を使って転移させてください。この男は危険だ。逃走経路を知られたくない』
 驚いている雰囲気が伝わってきたが、そこは即断即決を常とする凛である。
『分かったわ。それじゃ、用意は良い?』
 承諾すると、一時的に爆発するような魔力が身体に漲るのを感じる。
 魔導書を持って、何やら術を行っているらしいカリグラを横目に、セイバーはその魔力で小さな《門》を開き、マスターの元へと帰還した。


   5


 寮の一室。凛とセイバーは互いの情報交換を終え、今後の対策を考えていた。
 外には既に夜の帳が降りている。帰国は延期することにした。元々、予定では翌日であったから、早めるのを中止した、とも言えるが。
 ともあれ、今、凛のベッドで眠っている少女の問題があり、迂闊に動くべきではないとの判断からだった。

「明日、予定通り日本には帰るわ。問題はこの娘だけど、一緒に来てもらおうと思う」
 話し合った結果を確認するように、凛は宣言した。
「今の協会には預けられないわ。あんな危ない連中が動いてると分かってて不干渉なんて決めるんだもの。下手をすると引き渡されかねない」
 確かに、とセイバーは頷く。
 《門》から現れた少女だ。どのみち、この国が故郷だということもあるまい。ここロンドンに直接の用があった場合が怖いのだが、その時は再び連れてくれば良い。あのカリグラを一時的には振り切ったが、このままいれば、いずれ発見される確信がある。
 ならば、当初の予定通り日本へ行き、情報を集めるべきだ、と考えたのだ。
「う……」
 少女が魘されてる。
 体力を消耗し過ぎた結果、何かの病気にかかったのか、それとも、怖ろしい夢を見ているのか。
「少し、熱がありますね。何か薬を買ってきましょう」
 少女の額に手を当てていたセイバーが席を立つ。
「……そう、それじゃ気をつけて。私が出てアイツに見つかったら逃げられないし」
「そうですね。凛はその子を看てあげていてください」
 そうして、セイバーは部屋を出た。


 思ったよりも、時間を食ってしまった。
 あまり利用することがないせいで、薬局を見つけるのには少し手間取ったのもあるが、尾行の類を警戒して、意味もなく遠回りしたこともある。
 それで尾行がない事が確認できたから、無駄ではなかったが……
 そして、少し考え事もある。
(……あの少女)
 ベッドで眠る少女は、魔力が「空っぽ」だ。
 絶対量で言えば、あるいは絶好調の凛にすら届くほどなのだが、凛が魔力走査した結果判明した、身体を構成する魔術情報体の総量からすれば、ほとんど爪の先ほどの魔力しか残っていないらしい。
 それでもセイバーなどの使い魔のように消滅しないのは、彼女を存在させている魔術情報体の「核」ともいえる実体があるからだと思われるのだが……それがいわゆるまともな「人間の肉体」であるのか、分からない。
 半霊体であるセイバーゆえの知覚能力だったが、どう説明してよいか分からず、凛にはまだ話していない。
 カリグラは彼女を魔導書と呼んだが、魔導書が人型をとるなど聞いたことがない。中には意志を持ち、扱う人間を選ぶほどの強力な魔導書があるとは聞くが、本が精霊になるなど、魔術を識る者にとってもどれほどの非常識なのか。
(或いは、その非常識ゆえの、《門》の通過か?)
 そんなことも考えてみる。
 とにかく、早く目を覚まさせてやらなければ。どの程度人間の薬が効くか分からないが、魔力の補給が出来ない以上、やらないよりはマシ程度でも何かしておくべきだろう。

 そんな考え事をしていたせいだろう。
「見つけタぞ」
「な……カリグラ!?」
 セイバーは、道の先に立ち塞がる大男の存在に、すぐには気がつかなかった。


(この娘……)
 ベッドで眠る少女の額に浮かぶ汗を拭きながら、その苦悶の表情に眉をしかめる。
 強力な魔力を持つ小さな少女。
 その姿に2年前の戦いを思い出す。
 無惨に殺されたある少女を前に、凛の知る青年――当時はまだ少年だったが――は本気で怒り、そして涙を流していた。
 その少年の、同じくらい無惨な未来を知る凛は、何故そんなに他人のために動くのかと今までにも何度となく問いつめ、諭した。
 しかし、少年はその顔に、時には痛み、時には哀しみ、そして時には晴れやかな笑顔すら浮かべて、それでもこのような理不尽は許してはならないのだと語った。
 そうして、凛もまた決めたのだ。
 この少年のように生きるつもりはない。そしてやろうと思っても出来ないだろう。けれど、似たことくらいは出来る、と。
 少年のような博愛精神に目覚めた訳ではなかった。ただ、その少年は他人のために働くばかりで、自分を幸せにするということを全く考えない。
 その少年の目に映る悲劇を、少年が戦う動機を少しでも減らしてやれば、彼にもまた自分を省みる余裕が生まれるのではないかと考えたのだ。
(それで結局こんな厄介ごと引き受けてるんだから、我ながらお人好しよね)
 苦笑するしかない。
 それでも、やはり頑張った人間が損をする世界はどう考えても間違っていると思うのだ。
 だから、日本でその少年しろうと再会した時に胸を張れるように、今はこの少女を守ろうと思う。

 と、その時、部屋をノックする音がした。
「あれ、セイバー?」
 席を立ち、鍵を開けてやる。
「遅かったわねセイバー。どうし――」

 そこには、帽子を被り、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた小さな少年がいた。


 どうやってカリグラをまくかと思案している時、遠くで大きな爆発音がした。
『セイ――』
 ほぼ同時に届く《念話》。しかし、悲鳴じみたそれは正しく意志を伝えることなく、すぐにラジオのスイッチを切るように聞こえなくなってしまった。
『凛――凛!? どうしたのです!?』
 呼びかけるが、応答がない。どうやら意識を失っているらしい。
 そして、これは緊急の事態だと察するのとどちらが早かったか、頭上を巨大な飛行物体が通り抜けてゆく。
「え、凛?」
 意識を失っていても分かる。その飛行する緑色の巨人は彼女のマスターを連れている――!
「く――」
 即座に《風王結界》を解くことを考える。しかし、すぐにそれでは駄目だと気付く。
 上手く墜とせても、あの高度から人間が落下しては助からない。それに――
(当たらない――!)
 膨大な魔力を推進剤のようにして吐き出しながら飛ぶ巨人は、彼女が知るどの飛行物体よりも速かった。離れていくそれを狙うのは至難の業だし、少し横にズレるだけで回避されてしまうだろう。
 あれを彼女の「剣」で撃墜できるのは、動いていない時か、こちらに一直線に向かってきている時だけだ。それ以外の状況ではあの巨人はどうしようもない。

「カリグラ、貴様、足止めか!」
「……ふ。念の為に……ナ」
 仮面から露出した口を歪めて嗤うと、大男の魔術師はいつの間にか背後に出来ていた空間の裂け目へと後ろ向きに飛び込み。姿を消した。

「なんて――ことだ」
 士郎は行方不明、マスターである凛も連れ去られた。おそらく、部屋で一緒にいた少女もだろう。
 完敗というしかない。
 魔力が勿体ない等というくだらない理由で下手に余裕など見せて、カリグラを一度振り払った程度で丸1日逃げられたつもりでいた。
 いつも絶対の信頼を置いていた直感が、この男は危険だと、放置してはならないと叫んでいたのに!

「凛――――!」
 セイバーの叫びは、マスターには届かない。
 ただ、夜の街に無意味に響き渡るだけだった。


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