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2004/03/02

Recurring Nightmare 第5話「Abyssal Gatekeeper」

   1


「悪いね、1年近く匿って貰っちゃって」
「構わんさ。なんだかんだで厄介ごとを押しつけられるのにも最近は慣れた」
 少女の言葉に皮肉を返しながらも、女は屈託のない笑みを浮かべた。
 相手に合わせて椅子ごと横を向き、机に肘をついて椅子に座るその姿は、着ている白衣と相まって女医か保険医といった風体だ。
 実際、部屋には病院や医務室といった所に特有の薬品らしき匂いが漂い、部屋の隅にある棚には大小のそれらしき瓶が置かれており、そのものであるのかもしれなかった。
 対する少女は、ギシギシとあまり耳によくない音を立てる椅子の背もたれを気にしながらも、あまり雑談に向いた環境とは言えないだろうその部屋に殊の外くつろいだ様子で、子供らしいマグカップでミルクで真っ白になったコーヒーを飲んでいた。

「そもそも、なんで私がこんなに頼られているのか。『世界』を創造して以来、庇護に入りたいという者、一時的に逃げ込んで来る者は一向に減ることがない。まだ安定した住居とは言い難いのだが」
「年の功じゃない?」
 苦笑しながら話す女に、少女は悪意もなく、他の者が言いにくいだろう言葉を口にする。
 少女にはそういうことを言い出しそうな雰囲気があったから、女もまた苦笑で受け流すしかない。
 といっても、女はそれほど歳を食っているように見える訳ではなかった。二十代後半といったところか。豊満なプロポーションを誇示するように胸元の大きく開いた服も違和感なく着こなしている。尤も、その上に着た白衣とは全く合っていなかったが。
 対する少女は、歳は12,3歳か。フリルのついた少女趣味な服が実際より幼く見せている節はあるが、十代の後半にはなっていないだろう。跳ねた髪型とよく動く瞳が猫を思わせる。
「たかだか千年さ。神々と延々やり合ってる連中にしてみれば子供も良いところだ。しかもその域に達したのもつい最近だしな」
 しかし女は、その外見からは想像もつかないような年月を生きたと言い、才能がないからな、と苦虫を噛み潰したような顔で付け加える。
「んー、彼らも戦場のある世界とか時代に直接移動してるから、リアルタイムに何億年も戦ってる訳じゃないけどね。元は人間とか、木とか動物なんだし。亜紀先生は魔力に関してはむしろ恵まれた方だよ?」
 少女もまた、女の言葉を否定しない。そして、年相応の口調でありながらやはり年齢に相応しくない内容の話をする。
「……そうだな、愚痴を言っても仕方なかった。それでは本題に入ろうか。状況はどうなっているんだ。世界中に《門》が開いたというのは」
 亜紀と呼ばれた女は、表情を引き締めて少女に訊ねた。


   2


 雑踏をかき分けるようにして、少女はある場所を目指して歩いていた。
「なんでボクが」
 そんなことを始終呟きながら、1人立ち止まることなく、脇目もふらず歩き続ける。
 ずんずん、とでも音が響きそうなその歩き方は傍目にも彼女の機嫌がよくないことが分かるのか、誰も声をかけようとはしない。
 いや、それだけではないだろう。
 長い栗色の髪をなびかせて歩くその少女は美しいといえる顔立ちをしていたが、その後頭部を飾る黒い大きなリボンと、その身を包むやはり漆黒のドレスは明らかに都市部を歩く服装とは言い難く、周囲から完全に浮いていた。
 少女は、そのドレスにはどう考えても似合わない大きな旅行鞄を持っており、なおのこと目立つ。
 極めつけといえば、その鞄の持ち方であろう。普通なら肩に担げば良いような物を、ドレスから露出した肌を傷めたくないのか、ベルトを手に持って鞄を提げていた。
 かといって、地面を引きずっている訳ではない。鞄自体は浮いているし、少女の姿勢にもおかしなところはない。普通、重いものを片手に持つとそちらの肩が下がるか、または力が入って上がるかするのだが、まるで鞄が勝手に浮いているかのように、少女は普通に歩いている。それが、奇妙といえばなお奇妙な光景ではあった。
 しかし、その少女は注目を受けていることが気にならないのか、或いはそんなことがどうでもよくなるほどに機嫌が悪いのか。自分の格好を気にかけている様子はなかった。

 その街は人通りも多く、活気に溢れていたが、高層ビルもまた多いせいか大通りでも日当たりがよくない場所が少なくない。そのせいだろうか、どこか流れの激しさによる陽気さと澱んだ陰気さという、矛盾した要素を感じる。
 この世界有数の大都市が、同時に大暗黒街と呼ばれる所以なのかもしれなかった。
 少女はそんな街の大通りをまっすぐに、その先にある一際大きな建物へと歩いていた。

 ミスカトニック大学の受付には、語学が堪能であり、かつ何事も面倒がらないことが求められる。
 それは通常、国際的に開かれた施設、機関であれば同様のことであるのだが、この大学の場合、客が癇癪を起こした場合に、あまり普通では考えられないような被害を被ることがあるという長年の経験と学習があり、より徹底された慣習であるといえよう。
 その点でいえば、今日の対応を行った男は合格であり、自らが優秀であることに感謝せねばならなかったろう。
 やって来た東洋人の少女が普通でないのは見ただけで分かったし、また普通の精神状態でないのも当然ながらすぐに理解できた。
 シュリュズベリイ教授はいるか、と日本語で訊ねてくる少女に、彼が「出張」中であり、今月中に帰る予定がないことを懇切丁寧に説明したのだが、どうも予想がついていたらしく、盛大に溜め息をついていた。問題はその次だ。
 次に少女は、考古学科にウエスギという日本人がいる筈だ、と断定口調で確認を求めてきた。
 その時の眼はしばらく忘れられないだろう。恐怖――というより畏怖に近い――の中で、やはりあの教授を訪ねてくるだけのことはある、と納得したものだった。
 思わず、少女の素性を聞くことも忘れて学生と教員の名簿までを調べてしまったのだが、実のところそんな人物はミスカトニックには在籍していなかった。何をされるやらとびくびくしながら説明したのだが、意外にも少女はその威圧するような眼を逸らして、そう、と一言答えただけだった。
 とにかくその少女は一度だけ、嘘じゃないだろうね、と念押しした上で、来たときと同じく不機嫌そうに早足で帰って行ったのだった。


「どうして、いない人間の確認を取る為にアメリカまで来なきゃいけないのさ」
 今度こそ人に憚ることのない声で、少女は愚痴を言い出した。
 手に持った大きな鞄を地面に落とす。自ら浮いているのではないかと錯覚するほどに軽々と持ち上げていたそれは、どすん、と意外にもかなり大きな音を立てて注目を集める。やはり、少女は気にしてもいないのだが。
「あーもう、腹が立つなあ。なんでいつまでもこんなお遣いしなきゃいけないんだか。兄貴にやらせたって良いじゃないか」
 そこまで言って、いや、それは少し違う、と思い直す。
 そう、義母に従って働く事自体が嫌な訳ではない。ただ、自分をこれだけこき使いながら兄を遊ばせているのが――正確には兄と一緒に来ていないのが――気に入らない。
 別に特別なことを望んでいる訳じゃない。ただ双子でありながら17年間離ればなれになっていた兄妹の溝を埋めるべく話をしたり、散歩に付き合わせたり、一緒に弟分をからかったり、同じベッドで手を繋いで眠ったり――etc――したいだけなのに。
「まったく、兄貴も兄貴だよ。あの忌々しいサングラスの教授じゃないけど、相変わらずどこをほっつき歩いてんだか。今がどういう状況なのか分かってるのかな」
 修行と称して《門》を抜け出しては、人間の巫女のお祓いだか妖魔調伏だかに付き合って飛び回っている双子の兄を想い、溜め息をつく。

 《門》の内側にいたからだろう。《門》の出現の兆候には他にひと月は先んじて感知できたという自負がある。逆を言えば、それだけ前もって分かっていながら1つとして阻止できなかった訳だが、それでもミスカトニックに――さっさとアンチクロスの脅しに屈したらしい時計塔は論外だ――無い情報を集めることが出来た。
 《開門》を行ったのは混沌であること。
 その《門》を狙って、コスモ・マトリックスの残党と手を組んだアンチクロスが動いていること。
 彼らは、《門》から出現するのが《神》だと何故か確信しているらしいこと。
 問題は、その情報を有効活用できると義母が判断した人間が、軒並み行方不明になっているらしいことなのだが……
「独自に動いてる、ていうんなら良いけど、消されてるか封じられてるか……ありそうだなあ」
 後手を踏み続けている事を実感し、少女はもう一度盛大に溜め息をついた。

「まあいいや。こうやってついでとはいえ奴を捜せるんだ。魔術師が頼る場所なんて限られてることだし、あの自信過剰は変装どころか偽名だって使わないだろうし」
 置いていた荷物を来たときと同じく軽々と持ち上げて、姉小路優子は次はどこに行くべきかと思案しながら再び歩き始めた。


   3


「あれはね、みんなどこかと繋がったって思ってるんだろうけど……それもまあ、ある意味では間違いじゃないんだけど。実際の目的は「締め出し」なんだよ、多分ね」
「締め出し?」
 意味が分からない、という顔で亜紀は反芻する。
「そう、締め出し。異界への《門》は実際のところ作るものじゃなくて、そこにある物を魔術的に実体化させて開く物なんだってのは知ってるよね?」
「それはな。魔力に流されたり引き寄せられたりで多少移動することはあっても、絶対数は変わらない。かくいう私が住んでいるこの世界も、他人が開いた《門》を乗っ取る形でその内側に作ったものだ」
 《門》を開く事が出来る位置は、大まかに決まっている。かの邪神を招喚すれば別だが、基本的には何もない場所に穴を開けることは出来ない。尤も、大小合わせればかなりの数になるから、物体の移動等の大きな干渉を考えなければ事実上それほどの問題にはならないのだが、少女の言っているのはその「大きな干渉」を可能とする規模の《門》のことだろう。
「あの混沌がやったことはね、そういう《門》のうち、亜紀先生みたいな力のある種族が棲んでたり、表側の世界で強固な封印がされてて使えない物を除いた「所有者のいない大きな門」を全て掌握することなんだよ。自分で実体化させた上で鍵をかけることで、外からの干渉を封じることにしたんだ」
 少女の説明を飲み込むにつれ、亜紀にも緊迫感が漂ってきた。
「それじゃ、邪神狩りきゅうしんは」
「入って来れないね。今、地球にいるのは土着の種族だけだ。あとデモンベイン。ついさっきアルが来たんだと思うけど……やけに反応が弱いな。九郎ももうすぐだと思うんだけど」
 が、そこまで聞いたところで、亜紀の顔に疑問符が浮かぶ。
「待て。その大十字九郎は《旧支配者》を駆逐した《旧神》の盟主なのだろう?」
「盟主というか、切り札だけどね。完全な形で《神剣》を扱えるのがあの2人だけだから」
「同じ事だろう。そいつらがいるのに、そんな大事なのか? 最も干渉されたくない奴を呼び寄せてるんじゃ片手落ちじゃないか」
 亜紀の言葉は尤もなものだ。
 自らを排除する可能性が最も高い敵をその閉鎖世界に招き入れて、締め出しも何もあるまい。
 それに対しては、少女も表情を昏くする。
「……分からない。いや、目的は分かるんだよ。あいつの目的は最終的には1つだからね。だから、九郎達だけを残すのは分かるんだ。ただ、その最終目標に至るまでにこの状況があいつにとってどう役に立つのかが分からない」
 ふうむ、と亜紀も腕を組んで悩むしかない。

「君が狙われる可能性はないのか?」
 亜紀は、別の気になっていることを質問する
 少女は思案顔でうーん、としばし唸ってから、
「ここにいるのがバレたら、ヤバいかもねぇ。魔術師か眷属を動かして今頃必死に捜してると思うんだけど」
 と、何かに気付いたのか、そこで言葉を切る。
 亜紀もまた、少女と同じ物に気付いている。
「言っている傍から来客のようだな。強引に《開門》しようとしている。糞、目と鼻の先の出来事に気付かないとはなんて失態だ。……君の捜索部隊かな」
 亜紀の声は静かに緊張感を滲ませ、同時に、やりきれないような悔しさと怒りを目に浮かべている。
「最近開いたものじゃないから候補には入ってないにせよ、監視対象の可能性はあるけど……まあ、作為的なものは感じるね」
 対して、少女の声は落ち着いている。ただし、こちらは亜紀とは別の、静かな決意の表情で。
「仕方ないか、出よう。戦いはこれからも続くんだし、亜紀先生に迷惑はかけられない」
「済まんな。私は――」
「分かってる。この世界の維持があるからね。外のゴミはこっちで片付けるよ。――それじゃ、これでしばらくさよならだ」
 唇を噛みながら、《門》から出られないことを謝罪する亜紀に、少女は笑って別れを告げる。
「どうするつもりだ?」
「九郎達なら何とかしちゃうとは思うんだけど、奇蹟はやるべきことを全てやった人間が得る必然のことなんだとも言うしね。あいつの予定を崩せないか、色々やってみるよ」
 少女はそう言って、散歩のような足取りで「保健室」を後にした。


 狩野山学院は、かつての事件を遥かに超える惨事に見舞われていた。
 経営者である学長が死亡したことで、権利は日向亜紀の息がかかった人間の手に渡り、以前よりは健全な学校として生まれ変わっていたが、もともと魔術の素質を秘めた人間を生徒に選び、教員にも魔術師が少数とはいえ在籍しているため、そうそうすぐに体質が変わる訳でもない。
 結果として、通常の学院に比して平均的な魔力の高いその環境が仇となった。

「うふふふふふ、おーっほっほっほ!」
 響き渡る、男の笑い声。
 いや、男らしき何か、というべきか。緑色の仮面によって完全に顔は隠れ、帽子といい格好といい、ピエロそのものだ。
 しかし、ピエロからこんな匂い、否、臭いはすまい。
 吐き気を催すほどの腐臭。一体その服の中がどうなっているのか、そのピエロには常に饐えた臭いが付き纏っていた。
 そして、その周囲。20を超える人間が裸に剥かれ、或いは、びりびりに破けた服を身体に残して倒れ、さらにその外側には30を超える人間だった部品が散らばっていた。
 学院の中庭、噴水の中心にある水瓶を抱えた女性の像に腰掛けたピエロの下半身からは、そのうちの数人に向かって何かが伸びて巻き付いていた。
「楽しい、楽しいわあ。《門》の監視をするついでに、こおんなに美味しい子達と遊べるなんて。臓硯ちゃんも良いトコあるじゃない」
 赤い液体を滴らせ、脈打ちながら人間の身体を這いずり回るそれは、何か動物の贓物に見えた。
 しかし、それは何の、そしてどこの腑なのか。
 紐か綱のように伸びているのだから腸なのかもしれなかったが、数人の手足を拘束してなお余りある数と長さは少なくとも人間の物ではない。そも、まっとうな贓物はドリルのように捻れて人間の手首を突き刺し、壁に磔にはしない。
 そのまさに無数の触手という他ないそれは、その場に倒れた人間を外側から嬲るだけでは飽き足らず、口から、尻から、性器から耳から鼻から入り込んで蠢く。
「さあて、《開門》の儀式やった場所分かんないから適当な場所でやっちゃってるけど、ちゃんと開くかしらん? 早く開かないと、この子達みんな壊れちゃうわあ」
 さも心配げなことを言いながらも、ピエロの声はひたすらに楽しげだ。まっとうな儀式とも言えない儀式の快楽にただ浸り続ける。
 そこには男も女も、生徒だけでなく教員、果ては運搬業者や清掃業者らしき姿もあった。それが誰であるかに何のお構いもなく、ピエロの触手は犯し続ける。
 既に悲鳴すらあがることはない。ある者は既に死亡し、ある者は絶望し、ある者は喉に入り込んで蠢く触手で声が出ない。
「ひゃはははは! ぎゃはははははは!」
 ピエロの哄笑は止まらない。
 そこに、

「相変わらず悪趣味だねえ、ティベリウス」

 暴虐の限りを尽くすピエロすら笑いを止める、氷の刃の如く冷淡な少女の声が響いた。


「……あんですって?」
 一瞬、訳も分からず胸の中に生まれた冷たい感触を必死で忘れ、平静を装いながらティベリウスと呼ばれたピエロが振り返ると、そこには1人の少女が立っていた。
 ティベリウスほどではないにせよ、その少女のいでたちは奇妙というほか無い。
 目を覆う形で装着された大きなヘルメット。口にはギャグを噛ませられ、全身には革の拘束具が巻き付き、どうやら後ろに回された両手は手錠か何かで拘束されているらしい。
 いや、そもそもその状態でどうやって口を利いたのか。はめられたままの轡の端から見える唇は僅かに吊り上がっている。
「あぁらお嬢ちゃん、何処かで会った? こんなトコでSM? ひょっとしてアタシに犯されに来ちゃったのかしら」
 どう考えても先ほどの台詞と釣り合わないその格好に妙な物を感じながらも、ティベリウスは少しずつ調子を取り戻し始める。
「いいわよいいわよ。アタシ、守備範囲広いから。ちっちゃな娘でも全然OKよん?」
「……反吐が出るほどに懐かしい台詞を有り難う。王がいなくても、やっぱりアンチクロスはアンチクロスって訳だ。安心したよ」
 しかし、少女は目の前の光景にもティベリウスの言葉に毛ほども動じた様子はなく、やはり轡が嵌められたままの唇から、出る筈のない明瞭な言葉が紡がれた。

「アンタ――」
 ティベリウスも、この状況が何か尋常でないものであることをようやく察し始めた。
 名を知っていただけではない。皇帝の名を冠する彼らアンチクロスで何故か――そう、何故か――長いこと、かの「王」が空席のままであることを知っているこの少女は何者なのか。
 それに。
「――この魔力。魔術師ね?」
 全身を拘束されてなお余裕げに喋るこの少女からは、ティベリウスが感じたことのない程の魔力が発せられていた。
 再び、轡の端に見える唇が吊り上がる。
 ――殺す。
 理由もなく、ティベリウスの裡に殺意が湧く。いや、理由は分かっている。分かっているがしかし、認める訳にはいかないのだ。しかし、この感情を否定する為にはこの衝動的な殺意も同時に否定しなければならない。
「決めたわ。アンタは魔力も体力も手も足も奪い尽くして犯して犯して犯し犯し尽くしてついでに持って帰って公開レイプショー尽くしよ」
 そう宣言すると同時に、それまで生徒を犯していた触手を次々と引き抜き、捻りながら少女に向けて撃ち出した。

 狙いは過たず、ティベリウスの触手で作られた肉の槍は少女の左肩と腹、両膝を貫き、そのまま貫通して身体を校舎2階のあたりまで持ち上げ、磔にしてしまった。
「おほほほ、お口のワリには無様な格好よん?」
 しかし、少女の笑みは崩れない。
 いつの間に手錠が外れたのか、ティベリウスに向けて突き出された自由な右手の先には、光の魔術陣が浮かんでいる――
「術種選択:魔術弾ブリット・スペル
 さらに気がつけば轡の外れている口から呪文が紡がれ、無数の光の弾丸が掌から撃ち出された。
「ぎゃあらびべばばべぶッ!?」
 光弾はティベリウスの上半身を粉々に吹き飛ばす。少女は力の緩んだ触手を無造作に引き抜き、再び地面へと降り立つ。
「あ、アンタ――ぶふッ!?」
「五月蠅い。知ってるよ」
 如何なる業か、驚くべき速度で上半身を再生したティベリウスにも顔色1つ変えることなく、言葉を遮って光弾を連続で撃ち続ける。
「この程度じゃ君は死なないって言うんだろう? こんなところでアレは使いたくないしなあ。――まあ、けどね、無い物は動かないだろう」
 非常識には非常識とでもいうのか。
 少女は、無限の再生を無限の攻撃で封じることを静かに宣言した。


   4


「どうしたんですか? 蘭丸先輩」
 声をかけられて、青年は我に返った。
「え、何? 佐知子ちゃん」
 どうも何度も呼びかけられたらしい。助手席の少女が心配そうな顔でこちらを見つめていた。後部座席に座る少女も、身を乗り出して文句を言ってくる。
「もう、しっかりしてよね。運転中なんだからさあ」
「あ、ああ、ごめん。免許取り立てで緊張してるのかな。ちょっと疲れてきたみたいだ」
 誤魔化しの言葉と笑顔を返すが、引きつった顔はおそらく隠せてはいまい。
 運転免許を取ったのが最近だというのは嘘ではない。
 ホームグラウンドである日向亜紀の世界に繋がる《門》は、ひどく山奥に入り込んだところにある学校からしか開けないので、今同乗している斎乃佐知子やその双子の妹、美樹の「お祓い」に付き合って移動する為にはどうしても必要だった、というのが理由である。
 しかし、一瞬とはいえ意識を失ったのはその操作に慣れない故のものではない。
(なんだ……この感じ)
 「発作」に襲われなくなって随分経つが、それに見舞われた……ということでもない。
 言うなら、嫌な予感。
 以前は、彼が嫌な予感なるものを感じるべき事態――即ち、魔術の気配を感じたとき――には、既に強烈な吐き気や苦痛を伴う「発作」によって倒れていたため、そんなものを感じることはなかったのだが、己の「唄」――西洋魔術でいうところの魔力――の制御法を修得して以来は、生粋の魔術師である2人よりも敏感にそれを感じ取れるようになっていた。

 彼、響谷蘭丸や2人の巫女が行う「退魔」の対象は、通常の妖怪退治とは少々異なる。
 世界中――諸々の問題による行動半径の問題で、動くのは国内だけだが――に存在する《門》は、開いた先によってはその「向こう側」から溢れ出す瘴気とも呼べる「唄」の影響を受け、その周囲の人間は一時的に魔術を扱い始める。
 一時的に、というのは、素養の開発や精神鍛錬、「唄」を制御するための思考法――これを「言葉」と彼らは呼んでいる――の修得等の段階を経ずに魔力だけを得るため、結果的に暴走させて自滅するか、或いは狂死する。
 そして、そういった「唄に魅入られた」人間を周囲に大量に作ることが、開きかけた《門》を完全に開くためには必要になるため、《開門》を行おうとする者はまず、魔術の素養を高く持った人間を集め、魔術を身につけさせる。
 そのような「唄」が蔓延し出した区域を早期に発見し、「唄」に惹かれて集まった妖魔ごと、儀式を行う魔術師を排除するのが彼らの役目なのである。
 そうした特殊な経緯から彼らの上部組織と、手法や目的を異にするものの《開門》を最終的には是とする西洋魔術協会とは半ば敵対関係にあり、両組織の力関係によって屈辱的ながら一部の土地の管理権の譲渡という政治的措置を経て、互いに不干渉というのが現在の状態であった。
 蘭丸達は、《開門》の兆候を早期に感知し、調査に赴いたのだが、魔術師による儀式もない、漏れ出る「唄」もむしろ普通の土地より少ない、という奇妙な事態に混乱し、一時指示を仰ごう、という判断で、千年という永い期間を魔術師として生きた、今では彼の師にして義母ともいえる日向亜紀の元へと急いでいたのだが……

(何か、あったのか?)
 蘭丸は胸騒ぎを抑えながら、アクセルを強く踏み込んだ。


 車を降りたとき、異変にはすぐに気がついた。
 一体どれだけの血が流されれば、図書館の裏にあるこの駐車場にまで臭いが漂ってくるというのか。
「2人は、ここで待ってて」
「あ……ちょっと、先輩!?」
 声を上げる美樹を無視して、走り出す。
 最近ようやくではあるが、190センチを超えるこの身体の扱い方を覚えてきた彼の全力疾走には、少女達はついて来れない。
(この臭い……本校舎か?)
 かなり広い敷地を持つ狩野山学院だが、それでも走れば駐車場から本校舎まで2分とかからない。
 そしてその校舎の第2の玄関口ともいえる中庭に到着し、そこには
「な……」
 地獄があった。

 何が起これば、このような事態になるというのか。
 散乱した死体と、死体とすらいえない人間の部品。何十人分なのかも分からない。
 噴水の中心にあって、殺風景な中庭の景観に彩りを添えていた像は粉々に砕け散り、校舎には槍でも突き刺さったというのか、無数の穴が開いている。
 いや、小さな穴だけではない。爆弾でも投げたとしか思えないような、クレーターじみた陥没すら見受けられた。
 地獄という言葉が曖昧であるなら、戦場跡か。

 ――ドクン。
「――っ!?」
 一際、大きく心臓が跳ね上がる。
 既に乗り越えた筈の「発作」の兆候。それが今起ころうとするのは、つまるところ蘭丸が「言葉」、即ち心の制御を失いそうになったがため。
 蘭丸は、これと似たような光景を見たことがある。
 否、見たというのは正確ではない。蘭丸はこれに近い所業を自ら行ったことがある。
 当時ほとんど寝たきりの小学生だった蘭丸は、いつも見舞いに来ていた、憧れていた高校生の少女がレイプされそうになっている現場に出くわし、「唄」を暴走させてその数人の暴漢を挽肉同然に惨殺した。
 結果、自らも「唄」に魅入られ、生と死の境を彷徨うことになったのだが……
 しかし、今、目の前に広がっている光景は規模がその比ではない。
 飛び散った血の跡は2階や3階部分の壁にも貼り付き、周囲には十数人分の腸と思われる細長い臓器があちこちに落ちており、どうした訳かそれらには蛆が湧いている。
 さらに凄惨なのは、その腐った腸らしきものは周囲に散乱した死体の穴という穴に、または自ら手首や胴体に穴を開けて入り込んでいた。

「うっ……おえええぇ」
 我慢できずに蹲り、地面に吐瀉物を撒き散らす。
「なん……で、なんで、こ……こんな、ことが」
 上手く呼吸できない状態で、それだけを繰り返す。
 《門》を開ける魔術師の排除は何度か経験してきたが、ここまでの惨状は見たことがなかった。
 いや、彼自身、優秀な魔術師としての素質を持つが故に、見たことがなかった。阻止に成功してきた以上、ここまで致命的な現場もまた、作られる前に事態を収拾してきたのだから。
 今まで、自分がやってきたことがどれだけ重要なことか、上手く理解できていなかった。
 ただ、魔術に触れ、その制御法を身につけることで死から逃れることに成功して以来、その力で何かをするのが当然だと思えたし、以前はその力で日本中の色々な場所に「お節介」をして回っていたという亜紀に憧れたのもある。
 魔術師の死体は何度も見たし、殺しもした。死ぬ目にも何度か遭った。
 だが、当たり前に生きる無関係な誰かが、こうまで無惨に大量に死んでいく、ということが実感できていなかった。

 尤も、それは責められることではない。
 いわゆる生粋の退魔師と呼ばれる者とて、全てが最悪の結果を常に念頭に置いて行動している訳ではないし、そも、最悪の結果になった場合、本人もまた真っ先に死んでいる。
 だから、このような光景を目にする機会など、余程のことがなければ「そちら側」の人間にもないのだが……

「あー、不幸なタイミングで帰って来ちゃったねえ、久しぶり、蘭丸」
「え?」
 まさか人――生きている――がいるとは思わなかったため、その声には驚いた。
「エンネア……ちゃん?」
 見れば、亜紀の作った世界に1年前から居候している少女が、その地獄には酷く似つかわしくない、いつものフリルの服を着て、哀れむような目をして立っていた。
「その手……」
 彼女は、右手がどういう訳か発光していた。いや、原理は蘭丸にも分かる。それは強力な破壊の魔術だ。
 問題は、その手に握られている奇妙な仮面だった。
 その破壊に最も近い場所で晒されながら、その仮面には効果がない。
 否、それも正しくない。
 その仮面は、確かに破壊されていた。亀裂が走り、破片が砂となってぼろぼろと壊れた砂時計のように地面へと流れ落ちている。
 しかし、それでいて仮面はそのままの仮面なのだった。欠けた箇所は落ちる傍からそれが夢であったように新しい材料によって埋められ、再生が続いている。
 どのような原理なのか、エンネアの魔術と鬼ごっこでも続けるように、破壊と再生が繰り返されているのだった。

「ああ、これ? この現場を作った塵さ。それより、こんなところを見せてしまって悪いけど、良い機会だからよく聞いて」
 エンネアはこの惨状に些かも動じた様子はなく、あまり見たことのない、至極真剣な顔で話しかけてきた。
「こっち側に出てから――というかこいつから半分くらい聞き出して――分かったことだけど、状況は思ったよりも悪い。世界中の《門》の出現には気付いてるね?」
 質問というより確認のような断定口調に何やら酷く急いだ様子を感じて、混乱した頭を無理矢理に切り換えて頷く。
「そう。それじゃ、時間がないから細かいことは話せないけど、出来るだけ急いで行動して」
 そう前置きし、早口で話し始める。
「まず、亜紀先生の身の安全を考えるなら、ここの《門》は事が済むまで開かないで。小さな入り口も駄目。もし世界に帰るつもりなら、しばらく出てこないこと」
「え、ちょっと待ってくれエンネアちゃん。それってどういう……」
 しかし何が言いたいのかさっぱり分からず、聞き返してしまう。
 エンネアは右手に持った仮面に目をやって、苦虫を噛み潰したような表情を作る。
「……この馬鹿がね、《門》を無理矢理開こうとしたから、先生の世界があいつに見つかるかもしれないんだ。多分まだ大丈夫だと思うんだけど、潰されたくないならもう僅かな気配も漏らす訳にはいかない」
 あいつ。
 何度か聞いたことがある。この少女は「あいつ」から逃げてきたと。
 結局、その正体を聞く機会はなかったのだが、千年を生き、既に「生き神」とまで呼ばれるほどの力を持つに至った日向亜紀を脅かす程の脅威だというのか。
 エンネアは、さらに続ける。
「もし、こんなことを繰り返させたくないなら。もし、これ以上の理不尽をこの世に喚びたくないのなら」
 まるで蘭丸の心を読むようなその言葉は、いつも笑っていたこの少女には意外なほど力強い。
「協力して。見るべきは、出現した《門》ではなかったんだ」
「え? 《門》が出たから、問題なんだろう?」
「違う。現れた《門》はむしろ安全なんだ。出てくるものはあるけど、今から動いても手遅れだしね。注目すべきは、条件が同じなのにまだ出現していない《門》だったんだ」
 それはどういう意味か。出ていないなら、それで良いのではないのか。
 その疑問には答えず、言葉は続く。
「協会管理だけど、大きな《開門》の儀式用に巨大な魔法陣を作った街がある。知ってるだろ?」
 知っている。数十年周期で馬鹿な殺し合いを魔術師同士で続けているという、日本海に面した街だ。協会と教会の影響が強く、日本の術者はまず関与できないとされる、半ば禁忌の地。
「そこに行って、《聖杯》を守って欲しいんだ。決して《開門》を企む者に渡しちゃいけない。それはその土地の魔術師とは限らないけれど」
「え……聖杯?」
「詳しいことは分からない。毎回違うらしいから、《聖杯》が何で出来てるどんな形の物なのかも。でもとにかく、何とかして調べて」
 無茶を言う。
 日本の術者が国内で最も近寄りがたい土地に行って、その核心ともいえる物に近付けとは。

「――分かった」
 しかし、蘭丸は考えるのにさほどの時間も使うことなく、承諾する返事を返していた。 エンネアの感じている危機が理解できた訳ではない。
 だが、目の前の地獄を繰り返したくないのなら、と彼女は言った。それなら、そんなことは考えるまでもない。
「ありがとう」
 久しぶりに浮かべた笑顔とともに、周囲の死体に一斉に火がついた。
「すぐに出発して。……私は、やることがあるから。お互い生きてれば、また会おうね」
 そんな言葉を残して、エンネアは何の跡も残さずその場から消え去った。


   5


 何処とも知れない、魔術師達の城。
 アンチクロスを始めとして、その大半が出払ったとはいえ、たった1人の少女の侵入を誰も阻むことが出来なかった。
 臓硯が集めた「コスモ・マトリックス」の邪神崇拝者も、ミスカトニックや時計塔から引き抜いた魔術師も、在野で手に入れた傭兵のような者も、誰1人として、その場を馬鹿にしているとしか思えないような可愛らしい服を着た、まだ年端もいかない少女を立ち止まらせることすら出来なかった。
 ある者は殺され、ある者は昏倒させられ、ある者は目を合わせただけで戦意を喪失した。
 そして、その中枢部。
 《門》の監視に出ていなかったアンチクロスの2人、アウグストゥスとウェスパシアヌス、上杉秀一、そして間桐臓硯の立つ広間に、少女はその手に再生しながら破壊され続ける仮面を手に悠然と立っていた。

「貴様、何者」
 アウグストゥスの敵意に満ちた視線にも、全く動じたところがない。
「これ。素敵な招待状を有り難う」
 冷淡な笑みを浮かべた少女は、手に持った仮面を広間の中心に無造作に投げ捨てる。それと同時に恐るべき勢いで仮面には蛆が湧き、骨が生え、肉が付き、ピエロのような服を生成してゆく。
「あ、アンタ、よくもこのアタシに――」
 激昂して噛みつくティベリウスだが、言葉には力がない。顔は見えないが、その声は明らかに少女を恐怖していた。
「多分、だけどね。《開門》の儀式なんてやって騒ぎを起こせなんて言ってないんじゃないの? まったく、困っちゃったよ。命令は徹底させてよね」
 心底、疲れたように言葉を発する少女だが、やはり決定的にその場に必要な緊張感というものが足りない。この少女は、目の前に立つ世界でも最高位に近い域にある魔術師達を毛ほども怖れていない。

「……ふむ。それは済まんことをしたな、お嬢さんや。しかし最初の質問に答えておらんな。一体誰なのかの?」
 臓硯が極力、余裕を演出しながらアウグストゥスの言葉を繰り返す。畏怖を押し殺し、その場を代表することで主導権を握るつもりである。
 はあ、と少女は溜め息をつく。
「何を言っているんだか。君が呼んだんじゃないか」
「……む。はて、ワシは確かに世界中の魔術師に声をかけておるが、お前さんのような可愛らしいお嬢さんには心当たりがないの」
 心底、意味が分からぬと首を捻る。
 少女は再びはあ、と溜め息をついて言葉を発する。
「何を呆けてるんだか。君の横に2人もいるじゃないか。確かに呼んだだろう。アンチクロスを」
 その言葉に反応したのは、臓硯だけではなかった。
 アウグストゥスもウェスパシアヌスも、驚愕と畏怖と、ある意味での納得を顔に浮かべて、少女を凝視している。
 空席のアンチクロス。
 暴虐のアンチクロス。
 最強のアンチクロス。
 いる筈であるとされ、しかし名も姿も誰1人知らぬために、代々開けられた名誉称号のようなものだと思っていたそれとして、少女は名乗りを上げようとしている。

「位階は《被免達人》アデプタス・イグセンプタス。暴君、《獣の王》マスターテリオンのネロだよ。暫くの間だけど、よろしく」
 畏怖と恐怖と、強大な魔力を振りまく少女は、それまでの冷淡な表情から一転して屈託のない笑顔を浮かべ、そう宣言した。


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