IE……というかスタイルシート及びRUBYタグに対応したブラウザでの閲覧を激しく推奨します。


2004/03/15

Recurring Nightmare 第7話「Hero's Resolve」

   1


 魔術師の城。
 間桐臓硯率いる――否、率いていた筈の――魔術師の新興結社は、アンチクロス等、派遣された者達が次々と帰還するにつれ、混乱が大きくなりつつあった。
 無理もない。
 自分達が出払っていた間に、仲間――魔術師にそういう意識を持った者は少なかったが――の死体の山が築かれ、しかもそれまで「いない」とされていた者、アンチクロスの大導師マスターテリオンを名乗る者が現れ君臨し、あまつさえその人物は年端もいかぬ少女であったのだから。
「デモンベインを回収するのが目的で戦力分散して、なんで肝心の目標だけ逃がしてくるかなあ」
 玉座のつもりか、広間の端に据えられた大きな椅子に腰掛け、その少女、ネロは呆れたように嗤う。
 頬杖をついて、さも己の配下を見るが如くの所業に、クラウディウスやカリグラなど、血の気の多い者はそれだけで殺気を滲ませ色めき立つ。
 が、臓硯、アウグストゥスら、ネロのこの城への侵入の際に立ち会った魔術師達は僅かに目を逸らしたまま、微動だにしない。普段ならば喚き立てそうなティベリウスすら、反応しようとしない。
「ねえ、ティトゥス、誰のこと言われてるか分かってるのかなあ?」
 1人、興味なさげに目を閉じて何やら考えているらしいティトゥスに、再び嫌味が飛ぶ。

「……失態は認めよう。しかし、アレは一筋縄ではいかぬとだけは言っておこうか」
 億劫げに見返しながら、ティトゥスはそれだけを答える。強者との戦闘となれば嬉々として動き、饒舌にもなる男だが、しかし今は身を蝕む怠惰に任せて場への参加を放棄していた。
 いや、実のところそれだけではない。
 ティトゥスには、考えるべき事があった。それは、ネロの指摘する鬼械神回収の成否とは似て非なる物だ。
(エミヤ……衛宮、士郎と云ったか)
 戦ってから20時間ほどしか経っていない、敵の姿を思い描く。生身の姿を見てはいないから、必然的にティトゥスの裡に描かれるのは青い鬼械神だ。
(デモン――ベイン)
 誰も知ることの無かった名前。ネロはその名を出したことに自分では意識していないようだが、当たり前のように口にした以上、何かを知っていて、そしてそれがあの鬼械神の真の名なのだろう。
 魔を断つ者。その仰々しい名に相応しいとは到底言えぬほどの損傷、あまりに微弱という他無い魔力で、しかしそれは皇餓を押し返してみせた。
(奴の投影は、迅い)
 魔術師として、総合的にどの程度の力量かは解らない。しかし、衛宮士郎の投影魔術は破格だ。機能を再現し、その本来の所有者の技術をも模倣する出鱈目さもさながら、その実行から完成までが異常に短い。
 ティトゥスも魔導書《屍食教典儀》を手に入れて以来、そこに記載された魔術には随分と熟達したという自負があるが、刀の生成はあそこまでは速くならない。それは他の者との実戦に耐えられるレベルではあっても、己と同等、否、技の戦士と打ち合えば、必ず後れを取るに違いない。
 あのまま邪魔が入らねば、果たしてどちらが勝利していたろうか。そうも考えるが、答えは出ない。敗北を意識するほどの脅威を感じた訳ではなかったが、あの瞬間、間違いなく流れは敵の方にあった。
 未だ限られた者しか知らぬ彼の「奥の手」と、やはり未だ底を見せていない奴の投影魔術、どちらが有効に働くのか解らない以上、もう一芸凝らす必要があるだろう。

 ネロはティトゥスの考えを知ってか知らずか、へえ、と小さく漏らしたのみで、それ以上の追求をするつもりはないようだった。
「んじゃ、とりあえずこれからは例の鬼械神の追跡、と。ネクロノームに持って行かれたんならそっちからも当たるべきかもね、あとは例の計画の準備。儀式の方はアウグストゥスとウェスパシアヌスと……あと秀一にやって貰うとして――」
 既にティトゥスへの興味は失ったのか、ネロはそのまま話を進め、次々と指示を出してゆく。決して迫力があるとは言えない声だが、異を唱える者はいない。
 終始、ネロによって場を完全に支配されたまま、組織の今後の行動は決定づけられていくのだった。


「んで、ありゃどういうこった?」
 「後はよろしく」と残して1人立ち去ったネロを除いた全員がいる広間に、帰還組の魔術師を代表のようにクラウディウスの声が響く。その表情はこの場にいないネロを責めながらも、それを良いようにさせているアウグストゥス達、特に臓硯への蔑みの色が強い。
 いずれもが達人級アデプトクラスであるアンチクロスの魔術師は皆、臓硯が永い時を生きる強力な魔術師であることを察しながら、同時にその魔力のほとんどが肉体の維持に消費されていることをも看破している。どれだけリーダー風を吹かせようが、いざとなればいつでも支配権を奪うことは可能であるという確信が全員にあった。
 だが、ここに来て真に逆らいようのない「強者」が出現してしまった。 しかも目的は不明。そも、本当にアンチクロスなのかどうかすら判らないときている。
 気にくわないとはいえ、計画の全容を知っている「だけ」の臓硯に仕切らせていた方が都合が良かったのだ。

「どういうことだ、とはこちらが聞きたいのじゃがな。7人目のアンチクロスがあんな化け物とは知らなんだぞ」
 平静を装って言い返す臓硯にも、普段の人を食ったような言葉を返す余裕がない。
 城へやって来た少女の目を思い出すだけで息が詰まる。
 魔力だけなら問題ではない。圧倒的であることは間違いないが、実践を魔術の本質と説く彼らはいずれ己以上の存在と出会う運命であるのも必然であるし、まさか全員でかかって勝てない相手でもあるまい。
 だが、あの目だけは駄目だ。
 あれは魔術の深遠を覗いてきた、等という段階の物ではない。狂気と恐怖と苦痛と後悔と悲哀を幾度となく経験し尽くし、負の極限に限りなく近付いた者の目、絶望を識る目だ。
 正確に言えば、その半歩手前で踏み留まっているというべきか。或いは、そこから半歩だけのか。
 いずれにせよ、ただ欲望を実現する道具としてしか魔術に触れてこなかった彼らにとって、ネロは魔術師というよりも魔人と呼ぶのが相応しい。
 認めようとはしないが、臓硯は、否、暴君ネロに出会った者達は確かに怯えていた。

「まあ落ち着け、落ち着き給えよ諸君。彼女は今のところ敵対する素振りはない。狩野山で殺すことも出来たティベリウスがこうして無事である事だしな」
 膠着した状況を打破すべく、ウェスパシアヌスが口を挟む。
「アンタ――」
 ネロ以外に屈するつもりはないと言いたげに、ティベリウスも身を乗り出す。
 アンチクロスは一応の同志ではあれ、私闘を禁じる法もない。漂う殺気に、場の空気が急速に冷えてゆく。
 が、その間にアウグストゥスが仲裁に入る。
「待てティベリウス。……それで何が言いたいのだ、ウェスパシアヌス」
「つまり、つまりはだ、上手く利用すれば良いのではないかな。計画には協力的であるのだから、今は素直に協力して貰おうじゃないか。ことによれば例の《神》も必要なくなるやもしれん。そう思わないかね?」
 その言葉に、皆、それぞれ顔を見合わせる。が、そう言われれば考えるまでもない。
 アウグストゥスが言葉を受ける。
「――そうだな。では計画のため、力量も申し分のない大導師には我等の盟主になって貰う。……必要な間だけ」
 見回しながら、異議はないな、と付け加える。
 ネロがどれほど怖ろしくとも、その他の全員の意志による反逆には抵抗できまいと、アウグストゥスの表情は語っている。
 無論、異議を唱える者はいなかった。


   2


「う……」
 衛宮士郎が目を覚ました時、ベッドに寝かされて白い天井を見上げていた。
 既視感。その光景は、士郎が生まれ変わるきっかけとなった場所によく似ている。清潔でどこまでも白いベッド、壁、天井……
「……なんか、寝て起きてばっかりだな、俺」
 それから連想して嫌なものを思い出しそうになり、その気分を振り払うように口を開いてみる。
 すると、横からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「え……あ」
 赤面しながら、跳ね起きてそちらに向き直る。間抜けな独り言を聞かれるほど恥ずかしいことはない。
 ベッドの隣で椅子に座っていたのは、赤毛のショートカットの少女だった。士郎よりも2,3年下だろうか。顔立ちは東洋人だが、青い目といい、外国の血が混じっているのかもしれない。
「ごめんなさい。あれだけ大変な目に遭って、そんなことを言うなんて」
 謝ってはいるものの、何がツボに填ったのやら、いつまでも笑い続けている。
 憮然としながらも、文句を言うのも何か違う気がして、話題を逸らすことにする。
「えっと……ここは?」
 倒れてから、何処かに運ばれたらしい。白い壁にベッド、余計なもののない内装は病院の個室だろうか。
「あなたが倒れた場所からはちょっと離れた山奥だけど、小さな病院よ。海岸の怪我人は近くの大きな病院に運ばれていったけど、そっちにはあなたの鬼械神を隠す場所がなかったから」
「ああ、そりゃそうだろうね……て、え?」

 思考が一瞬、停止する。この娘は、何かおかしな事を言わなかったか。
 まだ生きている人がいて、しかもちゃんと病院に運ばれたらしい。うん、それはおかしくなんかない。むしろ感謝すべき事だ。助からなかった人がいるのは悔しいが、それでも、生存者がいるということは喜ぶべき事に違いないのだから。
 鬼械神という用語も良い。自分は倒れる前に初めて知った単語だが、詳しい人は知っていてもおかしくないだろう。閉まっていたコクピットから自分を運び出してくれた事から考えても、この少女は側に属している人なのだろう。だから、そのことは良いのだが……
「……あれ、俺のじゃないぞ」
「え、そうなの? でもあれに乗って戦ってたでしょ。わたし、てっきりあなたもあれと一緒に《門》を越えてきたんだとばっかり……」
 驚きながら、またも士郎に分からない言葉を出してくる少女。
「あの、門って?」
「ええと、今、世界中にいくつも異世界からの門が開いて、魔術関係者を大混乱に陥れているんだって」
 わたしもよくは知らないんだけど、と付け加えながら、話してくれる。
「そうか、それでデモンベインを……」
 狙っているか、監視していたかで、あのティトゥスと名乗った魔術師はあそこにいたのか。

「それじゃ、あなたはどうしてそこに?」
 士郎がデモンベインの搭乗者ではないと聞いて、少女は尤もな疑問を口にする。
「俺、あそこに墜ちた飛行機に乗ってたんだよ。それで、朦朧とした意識の中で目撃者を消すとかなんとかで生き残った人を魔術師が殺そうとしてたから、何とかしなきゃって思って。気がついたら、あれが動いてた」
 少女はぽかん、と口を開けて目を点にしている。
 それは唖然ともするだろう。何せあのボロボロの鬼械神で立ち向かおうというのだから、そりゃ馬鹿にも見えるに違いない――
「だって仕方ないだろ。他に助けられるヤツがいなかっ――」
「乗客って、嘘でしょ? あなた、傷1つないじゃない」
「え?」
 少女が驚いたのはどうも別の所であったらしい。
 言われて身体を確認してみれば、確かにいつの間にか負傷は完治していた。無理な運動の後のように節々が痛むが、久しぶりに全開で魔術を使ったからそれは仕方がない。床一面に赤く広がるほどの出血に、骨も何本か折れていた筈だ。確かに、最初に目を覚ました時は生きているのが不思議な状態だったような気もする。
「あ、ああ、俺、治癒術がかかってるから」
 上手く原理が理解できている訳でもないし、セイバーらサーヴァントのことを説明すると長くなるので、そういう魔術だと思ってもらった方が良いと判断した。
 しかし、と自分の身体を再び見る。
 普通の人間にしてみれば驚異的ではあるが、セイバーとの契約が切れてから、かなり回復力は弱まっている。厳密に言えばサーヴァントとしての契約そのものではなく、セイバーが士郎を加護するという意志を持っていることが重要なようで、効かない訳ではないのだが、それでも完治しているということは、やはりかなりの時間眠っていたということになる。
 自分をここへ運び込んだ少女が、目を覚ました時にも傍にいたのは偶然ではないだろう。乗客を救うと決意しながら気を失ってしまった自分の不甲斐なさもあり、この少女には頭が下がる思いだった。
 少女は少女で、ふうん、と納得したようなそうでないような返事を返してくる。疑っている、というよりもそういうものか、といった風だ。
(魔術関係者、て言ってたな。その言い方からすると自分は魔術師じゃないのかもな)
 そんなことも思ってみる。

「え、なに?」
 と、少女は突然、誰かに呼びかけられたように宙に向かって返事をした。
(?)
 何かあるのか、とそちらを見てみるが、当然のように何もないし、聞こえない。
 しかし、やはり少女は聞こえているらしく、窓に寄って士郎から離れ、何やら会話のような1人芝居のような言葉を話している。
(誰かと繋がってる……てことかな。魔術で)
 一瞬浮かんだ、かなり失礼な想像を打ち消して、現実的な推測を立ててみる。凛とセイバーは離れていても会話が出来ると聞いたことがあった。魔力の探知は苦手だから人間レベルの魔力は察知できないが、やはり彼女は魔術師で、使い魔か何かと念話を交わしているのかもしれない。
「分かったわ、すぐ行く」
 その想像が当たっているのかどうかは分からなかったが、少女は慌てた様子で病室の入り口へと歩いていき、ドアの前で一度だけ振り返る。
「……もう元気みたいだから、わたしは行くわね。あなたのじゃないなら、あの鬼械神、貰っていくけど、良い?」
「え、それは、構わない、けど……」
 自分やあの場の被害者達のために病院を手配してくれたのだから、あのティトゥスのような魔術師よりは信頼できるだろう。しかし。
「あれ、狙われてるんだろ。そんなもの持って――」
「大丈夫! えっと、それじゃ、お大事に!」
 ばたん、と予想よりも大きな音を立ててドアを閉めながら、少女は走り出してしまった。離れたところから「病院内で……走ら……」という声も聞こえる。

「……なんだ?」
 ろくに話をすることもできずに少女は去ってしまい、しばし呆然とする。
 ここは地図上のどこなのか。《門》は何故、出現したというのか。あの鬼械神は一体何なのか、そもそもどうやってあんな巨大なもの魔術師達や少女の狙いは。何があったのか。そして彼女は誰なのか……全て分からない。結局、救われはしたが情報は何一つ与えられていない。
 分かるのは、ただ1つだけ。
 どうやら事件はまだ現在進行形らしいということ。
 少女の慌て方を見たからだろうか。首筋の毛がちりちりと焼けるような不快感、あの墜落現場で感じたのと同じ嫌な予感が今また脅威の接近を知らせている。
 そして、
「う、うわっ、なんだ!?」
 その士郎の直感を肯定するように、どおん、という重い音とともに病院が激しく揺れた。

『ELLI、エリ、えり――』
「え、なに?」
 愛機、ヴァルナの声に思わず返事をしてしまい、神足えりは少し後悔した。ベッドの青年は訝しげな視線をエリに送っている。
(変な人だと思われたかな)
 羞恥に顔を赤くしながら、窓際へと歩く。できるだけ青年の方に声が行かないようにしてから、ヴァルナに話の続きを促す。
「どうしたの?」
『病院に高位の魔導書を携えた魔術師が2名、侵入しようとしている。〈わたし〉か鬼械神が補足され、〈乗り手〉が内部にいると判断した可能性が高い』
 珍しく緊迫感を滲ませたその声にぎょっとする。
 このタイミングで襲撃してくる魔術師。十中八九アンチクロスだろう。光学的にも魔術的にも高度な迷彩能力を持つネクロノームをこれほど短時間で発見するとは、どういう正確さか。鬼械神にも同様の処置を施しながら運んできた筈だ。それを上回る魔力探知が可能なのか、それとも別の何らかの確信があってこちらに来たのか……
『被害を最小限に食い止めるには、すぐに鬼械神を運び去った方が良い。この状況で病院を守りながら戦うのは不利だ』
「分かったわ、すぐ行く。あなたもこちらに向かって」
『向かっている。鬼械神が重いが、5分で到着する』
 話を聞く限りでは一刻を争う。敵は一般人を巻き込むことに全く躊躇しない。普通、魔術師は魔術を人の目に触れさせることすら嫌うのだが、アンチクロスは、そして多くの邪神崇拝者は自信からだろうか、そんなことはお構いなしに被害を広げる。それが露見する確率を高め、結果として被害が広範囲に及ぶという最悪の事態を防いでいるのは皮肉というしかないが……
 ドアの前で立ち止まり、一度だけ青年を振り返る。
 鬼械神を動かしていたということは、彼も魔術師だろう。迫る魔術師は2人。しかもヴァルナが言うには高位の魔導書を持っている。彼らが本当にアンチクロスなら、鬼械神を招喚できるということだ。
 彼に協力を仰ぐべきだろうか?
 病院を確実に守ろうと思うなら、或いはそうすべきかもしれない。
「……もう元気みたいだから、わたしは行くわね。あなたのじゃないなら、あの鬼械神、貰っていくけど、良い?」
 しかし、口から出たのは、そんな言葉だった。
(巻き込めないよね、関係ない普通の人は)
 自分達、5基のネクロノームとその乗り手は、世界中のあらゆる魔術結社、特に邪神崇拝や邪神の復活を掲げる者達と敵対している。その中でも最も危険な集団の1つであるアンチクロスと自分が戦うのは当たり前のことだ。
 しかし、彼はそうではない。世界に魔術師がどのくらいいるのか分からないが、偶然撃墜された航空機に乗っていただけだというなら、きっと本来は平穏の中で暮らすのが似合うただの研究者、学者の1人に違いないのだ。
 えりは、衛宮士郎がどんな魔術使いかを知らない。だから結局のところえりにとって、目の前の青年もまた、守るべき一般人の1人でしかないのだった。
 最後に、お大事に、と声をかけて、えりは廊下を走り出した。


「位置分かるか? カリグラ」
「……いや。この一帯のどこかなのは確かダが、正確な位置は分かラん」
「そっか。まあここに用があんのは確かなんだろ。だったらこっちに聞きゃ良い」
 手に握られた奇妙な形のけん玉を弄びながら、クラウディウスがそう結論付けて、病院入り口の自動ドアを通る。
 ネクロノームのパイロットは余程油断しているらしい。そうでなければ、現場から少々離れたからといって国内で道草などしている筈がない。
 或いは、彼らアンチクロスがコスモ・マトリックスと手を組んだことを知らないのかもしれない。本拠地と総統を失い、散り散りになった巨大な――おそらくは世界最大の――邪神崇拝結社にして陰謀団を、どうやってか臓硯はかき集めて、己の私兵としてしまった。人数が多い分、戦力として役に立つ者はほとんどいないが、こういう広範囲の調査には向いていた。
 確かに、強力な魔術迷彩をかけて移動するネクロノームを探知するのは至難の業だが、そのパイロットである坊門啓、脇屋光頼、名和公、後光院洋一、そして神足えりの5人を側に属している人間で知らぬ者はいない。
 数年前、世界的な天変地異で数百万という被害が出た際、彼らはその元凶として一部で氏名から顔写真、それまでの生活環境まで公開されている。それが地方の病院とはいえ、ほとんど丸1日1つのところに留まれば、発見されて然るべきなのだ。
 負傷者など見捨てて国外、せめて県外へ出ていれば、捜索の網に引っかかる確率もぐっと減ったのだが……

 入ってきた2人に、ロビーにいた看護婦も診察待ちの患者も、呆気にとられて反応できないでいるようだった。
 それはそうだ。かたや赤と白に塗り分けられた派手なスーツに髑髏を模した仮面を被った大男に、かたや服装こそまとも――とはいえ、日本でそう見かける物でもないが――だが、やはり顔の上半分を覆う仮面の少年。しかも2人とも、凶々しいとしか表現しようの無いほどに不吉な笑みを浮かべているのだから。
「あ、あの、診察ですか? それともお見舞い――」
 勇気があるのか、それとも普段厄介ごとを押しつけられる役なのか。看護婦の1人がそろそろと近付いてくる。
 それは、不幸なことだ。
 彼らに不用意に近付くような勇気は、見ただけで明らかに危険と分かる彼らに対し「人を見かけで判断してはいけない」等と考えてしまうような善良さは、或いは己の直感を信頼できない頑迷さは、残念ながら人を不幸にする。
 例えば、
「あ――――え?」
 何故か、突然発生したかまいたち現象によって全身を切り刻まれ、首と手足を飛ばされる哀れな看護婦のように。
 やはり、すぐには反応はなかった。恐怖か、はたまたあまりに非現実的な光景に心が凍り付いたか。
「イア! ハスター! ボク、アンチクロスやってる魔術師のクラウディウス。ちょっと捜してる奴がいるんで、これからまとめて殺しちゃいまーす!」
 ひゅんひゅんと風切り音を立ててけん玉を振り回しながらクラウディウスが宣言するのと、突然転がった死体への遅れた反応である悲鳴があがったのは、同時のことだった。


   3


 周囲に広がる森の中、ぽつんと建っている城ので、ネロは1人でいた。30メートル近い高さの城壁に腰掛け、足をぶらつかせている。
 その顔からはアンチクロスらを相手にしている時のような人を小馬鹿にした笑みが消え、代わりに深い疲労と苦笑が占めている。
「……ふぅ」
 鬱蒼と茂る森を眺めながら、深々と溜め息をつく。
 実際のところ、あれだけの魔術師を威圧して従わせるというのは難しい。
 戦えば勝てる、という自信はある。しかし、それをすればその後ろにいる者が黙ってはいないだろう。あの女は性格上、過剰な干渉をすれば人間を使って演出する物語が台無しになるとでも思っているのか、直接的な妨害をしてくる可能性は低いが、手駒を失った後にどのような手を打ってくるかが予測できない。
 だから、今は情報を集めながら奴の用意した駒の進める計画を自分の手で少しずつ修正するのが精一杯だ。最終的にどうやって目的を達成するつもりなのか、まずはそれを見極めなければならない。いずれここへとやって来るに違いない、ある2人のために。
 だが、それは大きな賭けでもある。
 アンチクロスのことは他の誰よりも知っている。彼ら自身が知らないことすらもだ。おそらく何をやらせても穏便に事が運ぶことはあるまいし、泣く人間が減ることなど決してないだろう。
 それでも、真の最悪の事態、あのおぞましき這い寄る混沌の最終目標だけは阻止せねばならない。たとえ今の自分の行いが悪であろうとも。真に暴君と呼ばれようとも。
 そう、敵はおそらく、狙いに気付いているだろう。そういう役回りを選択するだろうと予測して、彼女の席を空けていた可能性すらある。
 だから、これは大きな賭け。勝てば次のゲームへ、負ければ世界を失う圧倒的不利な賭けだ。それでも、絶望だけはする訳にはいかない。
 幸いと言うべきか、この世界にも「正義の味方」がいるらしい。彼女の生まれた世界にはいなかった者達だが、《古きもの》の超科学によって創られた兵器を使いこなして邪悪と戦っていると聞いた。そして、デモンベインもまた、何者かによって動かされ、アンチクロスの駆る鬼械神を撃退してみせたという。
 今のネロに出来ることは、上手く誘導して魔術師を「正義の味方」にぶつけること。そうすることで、被害が広がらないようにと祈るだけである。

「しかし、慣れないことはするもんじゃないね」
「いやいや、よく似合っていたよ? 暴君殿」
 他に誰もいない筈のその部屋で零れ出た独り言にしかし、女の声が即答する。
 ネロもまた、驚くことはない。察知していた訳ではないが、話しかけてくるとすればこのタイミングだろう、という予感はあった。
「……君か」
 アンチクロスを、臓硯を、秀一を全て前にしても余裕を崩すことの無かった表情に初めて、剥き出しの憎悪と敵意が一瞬顕れる。が、すぐにもとの疲れたような苦笑を作り、動くことはない。
「ようやく来てくれたんだね。待ちくたびれちゃったよ」
 女は対照的に、待ち合わせた友人を迎えるが如く親しげな言葉をかける。
 「待ちくたびれた」と言いはするが、しかしその声にも顔にも責める調子はなく、ただからかうだけの台詞なのが分かる。結局のところこの女、ナイアはネロが我慢できずにここへとやって来ることを確信していたのであった。
「やっぱり一流の役者は違うね。こっちが何も言わなくてもちゃあんと空けた役どころに座ってくれるんだから」
 続くナイアの言葉にも、ネロは表情を動かすことをしない。答える義理もないとばかりに、関係ない言葉を返す。
「あれで封じたつもりかい? まったく、君はいつまで彼を見くびっているんだい」
 それは、今はまだ仇敵に決定的な隙を見出せない者の、精一杯の嘲りだった。這い上がることを決めた人間の、小さな攻撃。
 が、邪悪はそれすら一笑に付す。
「あははは! 君こそ、いい加減に九郎君を過小評価するのはやめたまえ。彼があのくらいで本当にどうにかなるとは君だって思っていないんだろう?」
 神話に於いて《旧支配者》の天敵たる《旧神》の授けた剣を受けたことをすら、ナイアは大したことではないと嗤う。
 ある意味、奇妙なことではあった。
 己を追ってきた狩人を、しかも己の仕掛けた罠に嵌めておきながら、その罠に大した意味がないと言うのだから。
「あんなの、ちょっとしたきっかけさえあれば内側から食い破って出てくるに決まっているじゃないか。《神》にはね、完全な封印なんて存在しないんだよ」
 それは目の前のネロだけではなく、全ての人類、そして《旧神》を嘲笑う言葉。無限に生まれてゆく綻びを繕うが如き彼らの戦いもまた、いずれ無駄になるのだとという確信を持った予言。

「――そうかい。なら、今度も君の負けだ」
「そうかもしれないね。それならそれで、最後まで愉快な道化芝居を続けるだけさ」
 ネロの挑戦を、ナイアはただ受け流す。
 しかし、それは戦いだった。火花は散らず、血は流れず、命を削らず、打ち負かす望み等欠片もないが、それでも、身を蝕む絶望という癌に屈しないという宣言。この世で最も美しい御伽噺を見たという誇りを失わない為の戦いだった。

「ではまず、君と、そして僕の期待している正義の味方達の戦いを見てみようじゃないか。人類の希望、魔を断つ剣を」
 そう言ってナイアは姿を消す。ここから数百キロ離れた場所での戦いの始まりを察したらしい。
 ネロは、疲労を振り切るようにして空を見上げ、いつかのようにうたを口ずさむ。
 焦がれるように。憧れるように。暖かく、熱く、恋するように。


   4


 病室を飛び出したえりがロビーへと辿り着いた時、そこには目を覆うほどの惨状が広がっていた。
 見る者を心理的に落ち着かせやすいとされる緑色の床は黒とも赤ともつかない液体でまだら模様を描き、その液体と同じ色で壁に咲いた押し花が目に痛い。待合い用の長いソファーは倒され、切り裂かれ、或いは砕かれて散乱している。
 ぐにゃり、と嫌な感触が足に伝わる。それは柔らかく、しかし芯があって中心は硬い。
「ひっ……」
 慌てて足をどけながらも、自分が何を踏んだのか確かめらず、顔を背ける。
 しかし、無駄なのだ。どこを向いても、足下にあるのと同じ物が転がっているのだから。
「いやっ、いやぁぁ」
 目を閉じて座り込んでしまいたい衝動に駆られるが、辛うじて堪える。それだけは駄目だと、彼女の中の何かが訴えている。
 それは現実から目を逸らすな、というような曖昧な観念ではなく、もっと具体的な危機感だ。今此処で座り込めば、程なくして其処に転がる者達の仲間入りだと頭の芯で理解している。

 ひゅん、という風の音だろうか。或いは、実際には聴いていないかもしれない。とにかくそんな音を聴いた気がして、思わず首を引っ込めるように頭を下げながら後ずさる。
 その行動は正しかったのだろう。再度、頭の上を先ほどの音が通り過ぎ、髪の毛を一房持って行かれた。
(……これが、みんなを?)
 それがどういうものであるか、正確には分からない。しかし、風を切って奔る何かはまともに当たれば間違いなく人間の身体など容易く両断すると思えた。
 背筋が凍る。
 再び勘に任せて、今度は前に身を投げ出すようにして跳ぶ。床を塗らす、未だ乾いていない液体で汚れることになるが、気にしてもいられない。
 そして聴こえた風切り音に振り返ると、一瞬前まで自分のいた空間は壁も床も天井も、そして床に転がる物体も構わずズタズタに切り裂かれていた。
「へえ、トロいかと思えば、意外と勘は良いじゃん」
 その向こう側には、少年が立っていた。目を除く顔の上半分を仮面で覆った、アンチクロスの魔術師アデプタス・マイナーが、ちょうどあかんべーをするように舌を出して嗤っていた。
「う……」
 幾度となく敵対し、互いに倒すことの叶わない仇敵の1人が、圧倒的な優位から見下ろしている。
 ――1人?
 はた、とえりは思い至る。ヴァルナは魔術師は2人来たと言っていなかったか――
「……まさか」
 耳を澄ませば――否、そんなことをするまでもない。病院の外、いや、中庭だろうか。敷地内と思われるすぐ近くで゛ドオン、ドオンという重い打撃音と、複数の人間の悲鳴が聞こえてくる。
「せいかーい。ま、ネクロノームがなけりゃ、アンタはその程度ってこった」
 えりの考えたことを察したのだろう。クラウディウスは嘲るようにそう言ってけん玉を振った。糸で繋がった赤い球が、クラウディウスの左手を中心に円を描く。
 その姿だけを見れば、子供がただ遊んでいるようにも見えたろう。或いは、攻撃であるにしろ、スリングのように遠心力を利用して球をぶつけようとしているように見えたかもしれない。しかし、その瞬間に起こった現象はそれどころの話ではなかった。
 目に向こう側が揺らいで映るほどの空気の流れ。局地的な竜巻の如き突風が、透明ながらも明らかに目に見える破壊の衝動を伴って、クラウディウスの周囲に発生していた。
「これが……ここの人達を切り裂いた正体!?」
 風を切って奔る刃物状の物体など存在しない。ただ風だけで、この病院での殺戮は為されたのだった。

「《セラエノ断章》! 行っけぇぇぇっ!」
 そして、クラウディウスはけん玉――の形をした魔導具なのだろう――をえりに向けて振りかざした。
 ロビーにいた人々を、そしてえりを襲った竜巻の如きかまいたちが、三度、障害物を蹴散らしながらえりに迫る。
 対するえりも、さらに飛び退いて躱そうとする。
「え――きゃっ」
 しかし、血の固まっていない床を蹴ったのがまずかった。ずるり、と音を立てて足が滑る。移動に十分な力が得られず、結局50センチと進めずに倒れてしまった。
「終わりだ、ネクロノーム部品!」
 クラウディウスのせせら笑う声が響く。
 死を乗せた暴風がえりに迫り――
「――糞ッ! なんだ!?」
 そこへ飛来した2本の短剣が、まるで引き合うように軌道を曲げ、その暴風を両側から挟み込んでぶつかり合い、粉々に砕けながら風を押し潰した。

「なんだ、手前ェッ!?」
 クラウディウスを挟んで、ちょうどえりの反対側に立っていたのは、ちょうど何かを投げたポーズのまま、荒い息をつく青年だった。
 えりが鬼械神から運び出して入院させた青年である。
 恐るべき、と言うのが正しいか。青年は決して広いとはいえない病院の廊下、およそ10メートルほどの距離からまっすぐに2本の短剣を投擲したのだった。
 途中で曲がったのは投げた魔力剣の能力と考えても、両手で同時に投擲し、狙いを違えることなく、また同じ速度で、となれば、並の技術ではない。
「――投影、開始」
 呪文とともに先ほど暴風の魔術を相殺した双剣を生み出し、そのままクラウディウスへ斬りかかる。
「糞がッ!」
 クラウディウスは悪態をつきながら回避に移る――が、青年はまるで風に乗ったかの如きクラウディウスの動きに惑わされることなく、初めから読んでいたかのように向きを変えて駆け寄っていく。
「セイバーよりは――遅いっ!」
 気合の声とともに双剣を両袈裟に振り下ろす。素早いとはいえ、武術の心得を持つ訳でもないクラウディウスに対し、間違いなく必殺の間合いであった。

「――っ、危ない!」
「く――!?」
 しかし、そこにえりの声が響き、青年は踏み込みが止まる。勢いが殺されることなく振り下ろされた右手の短剣はクラウディウスの僅かに手前を通り過ぎ――そして砕け散った。
「ち、風の結界かっ」
 クラウディウスの周囲を包む破壊的な暴風を理解し、後退する青年。
「そこだ、カリグラ!」
 だが、いつの間に接近したのか、大男がその横合いから巨大な水の「顔」を殴りつけるように飛ばしていた。
「ぐ、ぬぅあっ!」
 無理な挙動にうめき声を上げながら、それでも新しく生み出した短剣を合わせた双剣を「顔」にぶつけながら、再度跳躍して後退する。
 「顔」は、双剣によって僅かに向きを逸らされ、青年には命中することなく、壁に直径2メートルの穴を開けてその向こう側を爆砕するに留まった。
 遠くから悲鳴が上がる。現在、病院内は完全なパニックに陥っていることだろう。生きている者がどの程度の割合かは分からないが……

「ふ。見つけタぞ、鬼械神、デモンベインの魔術師、衛宮士郎」
 戦闘しながら場所を移動する事も目的の1つだったのだろう。えりを庇うようにして立つ青年に向かって、大男、カリグラはにやりと笑う。
「やっぱり手前ェ等、ティトゥスの仲間か」
 対する青年、衛宮士郎はその目に燃える怒りを滾らせながら言葉を吐き捨てる。
「ヒャッハァ! こいつがそうかよ。セイカーイ! ボクがクラウディウス。んでこのデカブツがカリグラ、アンチクロスやってるんで、ヨロシク――!」
 標的に出会い、げらげらと笑うクラウディウス。
 士郎は敵のその様に、ぎり、と外に音が漏れるほどに歯を強く噛み締めている。


 士郎は、2人の強力な魔術師への恐怖よりも、荒れ狂う怒りに震える全身を落ち着かせるのに酷く苦労していた。
 許せない。
 この惨状、何の関わりもない人々が死んでいる現実も、笑いながら人を殺す魔術師達も、それが起こることを察しながら何も言わずに走り出した少女も、すぐに追いかけなかった自分も、何もかもが許せない。
 だから、その怒りを舌に乗せ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もし、生きて帰れたら仲間に言っておけ――」
 脳裏に浮かんでいるのは、ある言葉。
 自らを表す言葉に韻を踏ませた、衛宮士郎が識る、最強の衛宮士郎を作り上げる自己変革。
「貴様等を絶対に――」
 即ち、”I am the bone of my sword体は剣で  出来ている.”と。
 救うべき人々、救えなかった人々の剣となることを願って。
「ブッ潰してやるってな!」
 その決意を高らかに宣言する。

 そして、その声に応えるように、病院の外、そう離れていない場所で、巨大な何かが落下してきたような重い音が響いたのだった。


Next「Longbow Archer」
戻る