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1
「もし、生きて帰れたら仲間に言っておけ。貴様等を絶対にブッ潰してやるってな!」
神足えりは、自分を庇うように立つ青年――衛宮士郎と呼ばれていた――の発した宣戦布告を呆然と聞いていた。
何故、そんなことを言うのだろう?
えりを救い、そして魔術師の行いに激怒していること、ではない。
そういう善人は知っている。人の死に怒る者、目の前で為される悪を憎む者、優しき者を。
だから、そのことには驚かない。ただ巻き込まれただけにも関わらず、半壊した鬼械神でアンチクロスに立ち向かったというのだから、そういう人なのではないかと思ったし、だからこそこれ以上の戦いに巻き込んではいけないとも思ったのだ。
しかし、士郎はえりの予想のさらに上を行く。巻き込まれた範囲、目の届く範囲だけではなく、その根源を絶つと言い放った。彼は、敵の強大さも目的も、戦いの意味も知らないというのに。
2度の悲劇を経て、きっと肌で察してしまっているのだろう。アレは放置できない悪だと。きっと彼の中で決定されてしまっているのだろう。アレを見てなお己の領域に留まることは、これから生まれる、まだ見ぬ犠牲者を見棄てることなのだと。
戦力差など考慮する必要もないとばかりに毅然と立つ後ろ姿は、誰もが思い浮かべる「正義の味方」。欲でなく、愛でなく、自衛でなく、ただ他者が救われるという事実のみを報酬に戦う者。
その姿のなんと非現実的で、なんと無謀で、異常で、歪で、馬鹿馬鹿しく……そしてなんと美しいことか。
えりは、士郎に何が出来て、そしてその決意をどこまで貫ける人物なのかを知らない。ただ漠然と、将来に英雄と呼ばれる者はこのようにして第一歩を踏み出すのではないかと、そんなことを思った。
『エリ、ELLI、えり――』
先ほどの音は当然聞こえている。ヴァルナの呼びかけがなくとも、神足えりには言いたいことが理解できたし、何をすべきかも分かっていた。
が、状況は相変わらず非常に危険であった。
玄関出口にはカリグラ、別の出口へと続く廊下はクラウディウスが塞いでいる。士郎とえりは、死体と血とソファと観葉植物の残骸が散乱した、ただ広いだけのロビーの中心からなんとか脱出しなければならない。
「クラウディウスとカリグラは抑える。俺と一緒に出口へ走ってくれ」
振り返らずに士郎は小声で指示を出してくる。
再び、えりは目を見開く。彼は魔術師2人同時に相手をするという。声に不安はない。しかし、自信があるという訳でもあるまい。
尤も、先ほどの行動からして、この青年ならそんなことを言い出すのではないか、と思ったのも確かだった。ならば、やるべきことは彼の身を案じて留まり邪魔になることではなく、迅速にヴァルナと合流し、彼のフォローをすること。
力強く頷く。しかし背中を見せている士郎には見えないだろうと思い直し、分かった、と小声で答えた。
「よし、行くぞ」
出口へ向かって士郎が飛び出すと同時に、少女も走る。
「バーカ、貴様等はここで死ぬんだよ!」
逃がすものかと、廊下側に立つクラウディウスが笑いながら両手を広げる。それぞれの指の間には何か丸い物が挟まれている。
「イア! ハスター!」
呪文とも聖句ともつかない言葉とともに、それを放り投げた。
それらは高速で回転しながら、別の意志を持っているように独立した動きで士郎とえりを狙う。
「ベーゴマか!?」
その形は確かにベーゴマ。子供の玩具というしかないそれはしかし、暴風の魔力を纏って1つ1つが必殺の魔導具と化していた。
計8個のベーゴマは5が士郎へ、3が少女へと向かう。
士郎はカリグラの魔術を防いで砕けた双剣を新たに生み出し、迫り来るベーゴマを次々と打ち落とす。が、魔導書《セラエノ断章》によって制御されるベーゴマは攻撃を自ら回避するように動き、そう簡単に全弾を防ぐという訳にもいかない。
さらにはカリグラの腕が振るわれる。魔力によって破壊力を増した拳はまさに鉄槌、クラウディウスの魔術とは無関係に、暴風を纏って士郎の頭を砕かんと迫る。
「く――」
背をくの字に曲げて頭を下げて拳をやり過ごしながら、双剣はベーゴマに集中させる。まず、少女に向かった3つを打ち落とし、その後ろをえりが通り過ぎるのを感じながら自分に向かった5のうち3を切り払った。
しかし、
「ヒャハ、貰ったァァ!」
残りは全て自分の領分だと判断して足を止めたのがまずかった。残りの2つのベーゴマに双剣をぶつける寸前、それらは突如として急転回し、士郎を通り過ぎてゆく。
「しまっ――」
カリグラの腕の範囲からは外れた少女だが、未だベーゴマの射程からは逃れていない。士郎はすぐに双剣を投擲しようと構えるが、カリグラの第2、第3撃に阻まれる。
「危ない――」
「大丈夫!」
少女は叫びながらさらに加速する。己の後頭部に迫るベーゴマに気付いていないかのように。
しかしいくら人の足で速く走ろうが、魔術で空を奔る凶器ほどに速くはならない。
ベーゴマが赤毛の後頭部に突き刺さり、柘榴のように弾け飛ぶ光景を誰もが想像した瞬間――
少女が、ぐにゃりと歪んだ。
「なに?」
それは誰の漏らした声だったか。
戦闘も忘れて3人が見入る中、少女の姿は陽炎のようにゆらゆらと揺れながら急速に色を失っていき、人型をした半透明の何かになる。
血と脳漿を撒き散らすはずだったベーゴマは、ぴしゃり、と水を切るように音を立てて素通りしてしまい、そのまま進行方向にある正面玄関ドアのガラスを叩き割って粉々にした。
半透明の液体のようになった少女はその穴をくぐるようにして走り抜け、再び色を付けて元の姿に戻りながら外へと駆けていった。
「……
慌てて、クラウディウスは風に乗って飛翔しながらカリグラを急かす。
しかし、士郎はそれ以上に早く立ち直り、行動に移っていた。
「テメェ等こそ逃がすかよっ!」
少女が脱出した出口を塞ぐべく走りながら、手にした双剣を同時に投擲する。回転しながら飛ぶその軌道はブーメランのように弧を描き、ドアへ向かうクラウディウスを両脇から挟撃する。
前回の斬撃は突然の警告によって力を失い風の結界に阻まれたが、魔力を篭めた投擲となるとどちらかは通るかもしれない。僅かなリスクだが、しかし肉体が強化されている訳ではないクラウディウスは、それを無視できずに速度を落とさざるを得ない。
結果として、クラウディウスの前を通り過ぎた双剣は壁に当たり、硬い音を立てて床へと落下したが、病院の出口は士郎が先に到着することになった。
「死ネぇぇェェ!」
そこへ突進するのがカリグラである。
「
「遅いッ!」
それを防御するべく唱えられる士郎の呪文だが、今回はカリグラの方が迅い。岩をも砕く鉄拳が士郎を交差した腕ごと吹き飛ばす。
が、殴られる直前に後ろへと跳躍していたらしい。骨にヒビを入れた感触はあったが粉砕するには至らなかった。
士郎はガラスが割れて枠だけになったドアに背中をぶつけるようにして着地し、顔をしかめながら呪文を終える。
「――
「馬鹿め、その腕で剣なド――」
嘲りの言葉を発しながら、とどめを刺すべく再度カリグラは突進する。
「馬鹿はお前だカリグラ、避けろ!」
しかし、その後ろからクラウディウスが警告を発する。が、既に走り出したカリグラが反応するには遅すぎた。
「グおぉぉォオオ!」
突然の衝撃に悲鳴をあげてのたうつカリグラ。
その背中には2本の短剣が深々と突き刺さっていた。
それは先ほど投擲され、クラウディウスが足止めされた双剣である。
2本でワンセットの夫婦剣、干将と莫耶はたとえ一度離れても、互いを求めて再び結び付こうと引き寄せる性質を持つ。2本同時の投擲が敵を挟むように飛ぶのはこの性質を利用した戦法なのだが、士郎の投影にはさらにもう一歩先がある。
本来はあり得ない複数の干将莫耶。士郎の出鱈目ともいえるほどの正確な複製能力が生み出す矛盾した状況にも、双剣は敏感に反応し、落ちた干将は士郎の握る莫耶へ、莫耶もまた士郎の干将へと引き寄せられる。
結果として、その間に挟まれた形になったカリグラの無防備な背中へ刃を突き立てることになったのだった。
「やっぱり……魔術師だな。どれだけ鍛えようが、セイバーよりは、鈍い」
クラウディウスがカリグラに気を取られた隙に、士郎もドアの枠をくぐって外へと駆け出す。
しかし、状況はさほど好転したとも言えない。
顔面を護る為だったが、両腕に傷を負ったのは非常に痛手だ。干将莫耶は通常の剣よりも軽いため、振るうこと自体は可能だが、重傷とはいえこれで仕留めた訳ではないカリグラの拳を捌くのは難しい。さらにクラウディウスに至っては未だ無傷だ。
対する士郎は両腕と玄関ドアにぶつけた背中を負傷し、また都合5回の投影で魔力の消費も小さくない。
(さらにもう一芸か二芸要るな、この戦法は)
発想は悪くないという自信があるが、現時点ではただの奇襲に過ぎない。かつての戦いで未来の自分より得た戦闘技術からこの投擲法は受け継いだが、その先の読み込みはすることなく別れてしまった。
おそらく「彼」は今の士郎が行った技のさらに先を編み出していたに違いないが、それを修得するには地道に研鑽を重ねるより他に方法はない。とりあえず有効らしいという結果を以て今は満足しておくべきだろう。
「ウ……オォォォォオオ!」
「――なに?」
雄叫びとも悲鳴ともつかない声に振り向くと、激痛にのたうち回っていたカリグラが、激しく腕を振り回しながら暴れているらしい。ただ力任せに突き出された拳は辛うじて枠を残していたドアを粉砕し、そのまま周りの壁を破壊し続けている。対象が何かも関係ない、完全に見境無しだ。
「痛みで我を失ってるのか!?」
魔術師として、それは信じ難いことだった。
通常、魔術は極度の精神集中を必要とする。成功率にも関わるし、暴走すれば命にも関わるからだ。魔力を通すだけで魔術を発動させる「魔術刻印」だけを使うならば精神的な負担は少なく済むが……
(――そうか、魔導書)
はたと思いつく。
敵の魔術は、魔導書という外部の魔術回路を通して発動しているのではないか。
同じアンチクロスであるティトゥスは《屍食教典儀》という強力な魔導書を所有していた。まさか巨大ロボットを招喚するような魔導書がそうゴロゴロしているとも思えない。もし仮に、そういう最強クラスの魔導書を所有していることがアンチクロスの条件なのだとしたら、魔術師でありながらこうも容易く正気を失うことにも納得がいく。要するに安心しているのだ。
(なら……)
そう、ならば。
自分にも魔導書があれば。最高位とまでは言わない、ただ弱くもない、自身が魔力回路であり魔術回路である強力な魔導書さえあれば、自身の魔力を強化できるだろうか。
全身を走る27の回路とそれで魔力を精錬し、循環させ、増幅し、自力で「切り札」を使用できるくらいに――
「……今は、あいつらを外に引きずり出すのが先だな」
夢想を振り払い、病院の敷地から外へ出る。
そして、その先。
「な――」
思わず、足を止めてしまった。
それまで考えていたことも忘れ、心臓が止まるかと思うほどの驚愕。
病院で聴いた、巨大な物体の落下音、その正体。
「デモン……ベイン」
100メートルは離れていてなお圧倒的な存在感。鋼鉄の青き巨神が、まるで忠誠を誓った主の指示を乞うように、頼りない子供を早く来いと優しく招くように、膝を折り、腕をさしのべてそこにいた。
再び走り出し、速度を限界まで上げる。それは後ろから追いかけて来るアンチクロスが恐ろしいからでは、断じてない。
思えば、自分が出逢った鬼械神を外側から見たのはこれが初めてだった。
無数の亀裂。折れた角、割れた盾。溶けて変形した装甲。どこから見てもガラクタ。
だが、血が滾った。
身体が灼えた。
鳥肌が立った。
心臓が跳ねた。
涙が出た。
――魂が震えた。
根拠はない。だが士郎には解る。あの神が、なんの為にあるのか。
表面がどれほど溶け、傷つき、崩壊しようとも決して折れぬ無垢なる刃。
かつての父が、未来の自分が、
衛宮士郎のような偽物ではない、ただ守りたい者を全て守るという純粋な決意の象徴が、お前の目指す理想は間違っていないと語るように。
士郎とデモンベインは、ただ出逢っただけ。
互いを互いの物にしたわけでもなければ、なんら影響を与えあった訳でもない。魂のない鋼鉄のヒト型に、意味のない理想を追う剣が、己の存在を確認しただけ。
ただ、それだけだというのに、たったそれだけのことが、どうしようもなく嬉しくてたまらない。
背後で魔術の気配がするが、無視する。
何者かは知らないが、士郎を救ってくれる者がいるらしい。
だから、今は駆ける。戦う為に未熟な魔術師をも必要とする空っぽの機神の許へ。
「うっ……くっ」
溢れる涙を拭う暇も惜しみながら、デモンベインの腕を駆け上る。そのままコクピットへ飛び込んで、前部座席に放置された魔導書《ネクロノミコン新釈》を手に取る。
染み込んだ士郎の血。思えばこれが契約であり、デモンベインを動かす鍵でもあったのだろう。
赤く染まったページはしかし、破れることも文字を消すこともなく、士郎にその意味を伝えてくる。
――
士郎は、その
そのまま士郎は操縦席――偃月刀が床に突き刺さっているあたり――へと歩く。
衛宮士郎は、鬼械神を起動する為の魔術を識らない。そのための自己変革を想定した事がないのだから当然である。
だから、最も馴染んだ呪文を使うことにした。
父に初めて魔術を教わった時から使い続けた衛宮士郎の原点とも言える魔術使いの証に、新しい意味を添えて。
「――
2
破壊が繰り返され、所々では火災も発生している病院。
次々と起こる爆発の余波か、500メートルほど離れたコンビニエンスストアでも微震のような揺れが断続的に続いている。
どこから登ったのか、その屋根に腰掛けて、混乱の最中にある病院へと望遠カメラを向けている女がいた。
スーツを着た、地味な女である。仕事を抜け出したか、休憩中か、とにかく偶然見えた災害の現場に、他の野次馬を避けて高い場所から撮影している悪趣味な女――と、通りかかった人間には見えていることだろう。
鬼械神は数分前にネクロノームが運んできて以来、野次馬が集まって遠巻きに見ているが、女はそれに目も向けず、ただ黙々とシャッターを押し、病院の爆発と崩壊、パニックの様を撮り続けている。これこそが重大事なのだと確信しているかのように。
入り口から赤毛の少女が飛び出してくると、その瞬間から、少女がネクロノームの手に支えられるようにしてその内側へ入り込むまでを正確に撮影する。そしてネクロノームが再び浮遊を始めると、女は病院へとカメラを戻す。
ネクロノーム。
その姿は、その巨大さで3倍近い鬼械神に比しても、奇怪と言うほか無い姿をしていた。
一応、人型に近いフォルムではある。しかしそれは2本の腕と脚と1つの頭があり、そしてその位置がヒトに近いという意味で、外観はその傍に膝をつく青い鬼械神の、いかにもロボットといった平面の多い金属の装甲とは大きくかけ離れており、また尻尾のようなものもある。
喩えるなら、それらは何か未知の生物の化石を組み合わせて身体を作っているようなものだった。胴体の中心と脚、頭は隙間無く埋められているが、腰や肩、腕などは骨格標本のように穴が多い。ロボットや車の技術者が見たなら、骨組みだけを作って装甲を嵌め忘れたのかと疑ったかもしれない。さらには、同じ材質の鞭とも触手ともつかない紐状のパーツが首の周りから無数に伸びていた。
そして、最も特徴的なのは頭だろう。目は、人の目にあたるのと同じ場所に大きな2つが、そしてその周囲に6つずつ、計14個が左右対称に並んでおり、一層人外のイメージを強くしている。また、頭頂部は波打って5つの頂角を持ち、おそらく上からはヒトデか星形のように見えるだろう。
そんな、何をモデルにして作られたのかも不明な、生物とも機械ともつかぬ物体が、「魔術機」ネクロノーム、〈水〉の〈n〉、ヴァルナなのだった。
1分ほどもしたろうか、今度は両手に短剣を持った青年が病院から出てくるのを撮影する。
しかし、それを追うように駆ける2人組は撮影し
あとは、青年が鬼械神に乗り込む瞬間、鬼械神が立ち上がる様、そして炎上を続ける病院だけを念入りに撮影して、ようやく仕事を終えたとばかりにカメラを下ろす。
ふと、目を向けたその病院の屋上、その端に腰掛けた人影を発見する。
(あそこに人なんていたかしら)
首をかしげるが、覚えがない。廊下が塞がれて、屋上で助けを待つことにした患者か医者だろうか……
望遠カメラを向けると、その人影は女であることが分かった。紫のスーツに身を包んだ、黒髪の女。女もこちらに気付いたのか、微笑んで小さく手など振ってくる。
(私に気付いている? ……まさか)
最大倍率の望遠カメラでやっと人物が特定できる距離だ。多少目立つ場所にいるとはいえ、向こうから見れば野次馬の1人に過ぎない筈だ。カメラを持った者も少なくはない。
病院の女はただ手を振ってみただけなのか、それともこちらが何も反応を返さないのがつまらないのか、すぐに視線を前方へと戻してしまった。
その視線の先にあるのは、青い鬼械神。
たった今立ち上がった、正義の味方。
3
「《水神クタアト》が鬼械神クラーケン! 壊せコワセ壊せコワセェェェェェェ!」
「《セラエノ断章》が鬼械神ロードビヤーキー! イア! イア! ハスター! ハスター クフアヤム ブルグトム ブグトラグルン ブルグトム アイ! アイ! ハスタァァァァァァ!」
士郎によるデモンベインの起動に対し、病院玄関でも2人の呪文が響く。
カリグラの周囲には巨大な水柱が上がり、クラウディウスは竜巻に包まれる。そうした一瞬の後にあるのは、黒い重装甲の巨人と、緑の細身の巨人。
「やっぱり鬼械神を出してきたな……っ、あいつ!?」
クラウディウスの招喚した緑の巨人には見覚えがある。いや、忘れる筈など無い。士郎にとっては全ての事件の発端、士郎をはじめとして200人以上もの乗客が乗った旅客機を撃墜した鬼械神なのだから。
コクピットのスクリーンでは黒い鬼械神を「Kraken」、緑を「LordByakhee」と表示している。
「デモンベインは……こいつらを知ってる?」
或いは暫定的な呼称なのかもしれなかったが、士郎は何故か、デモンベインのデータベースに初めからそれらが存在していたような気がしていた。
「……まあ、そんなこと、俺には」
関係ない。
今はただ、泣く物を救う継ぎ接ぎだらけの剣と魔を断つ無垢なる刃、2本の剣のひとときの邂逅に恥じぬ戦いをするだけのこと。
「……やくん、……衛宮君、聞こえる?」
「え、君、さっきの子か?」
コクピットに少女の声が響く。左上を見上げると、鬼械神の1/3ほどの大きさのロボットが宙に浮いていた。
奇怪なフォルムながらも白く輝くその機体が放つ魔力は、この場のどの鬼械神よりも大きい。
「そっか、そいつで運んでくれてたんだな」
合点がいった。ティトゥスと戦っていた時、近付いていた巨大な魔力反応は彼女だったのだと。
「逃げて……っていうのは、聞けないのよね。それなら、協力しましょう?」
それは願ってもない申し出だ。1対2、さらに現状の機体ステータスでは圧倒的に不利なのは確かだ。なにより、
「分かった。じゃ、ロードビヤーキーを頼む」
デモンベインは空を飛べない。空中戦が出来るなら、任せるべきだろう。
「――さあ行くぞ逆十字。反撃の始まりだ」
即席のコンビを組んで、士郎とえりはそれぞれの敵と戦闘を開始した。
クラーケンを病院から引き離す為、デモンベインは横へと走る。
「潰れろォォォォ!」
しかし、クラーケンは自ら動くことはなく、その両腕をデモンベインに向ける。その腕は上腕部の関節から小さな新しい関節が生まれ、さらにその関節が新たな関節を生み、みるみるうちに伸びて鬼械神の全長よりも長くなり、その鉤爪を突き立てんとデモンベインに迫る。
「く――投影、開始!」
デモンベインが投影するのは、ティトゥスの鬼械神、皇餓の巨大な二刀。
クラーケンの腕を身を捻って躱しながら、その伸びきった細い腕を横から断ち斬るべく振り下ろす。
「手応えが……!」
が、腕は蛇のようにうねり、刀を受ける位置と角度を変えることで衝撃を緩和し、攻撃を通さない。ただ払われるだけに留まった腕は地面を抉り、田畑に、林に、建造物に大きな爪痕を残す。
「避難しててくれよ……!」
まさかこの状況で近くに留まっている人間がいるとも思えないが、確かめようがない今は祈るしかない。
デモンベインは泣く人を救う為の魔を断つ剣だ。それが上手く扱えない自分のせいで死者を増やしてしまっては悔やんでも悔やみきれない。
そうしているうちにも躱した腕は引き戻され、第3、第4の鉤爪がデモンベインを襲う。
それをなんとか二刀で捌きながら、少しずつ後退するのだが、一向に攻撃の止む気配はない。射程を逃れれば敵も動かざるを得ないと判断した故だったが、腕の伸びる距離は予想以上に長いらしい。
(まさか無限に伸びることは無いだろうけど……あまり離れすぎると刀が届かないか)
デモンベインの機体スペックは高い。その能力の高さもさながら、通常の鬼械神の魔術回路に人間の科学力を融合させた機構で、動作に必要な魔力消費も少なく済むという破格さだ。
だが、それには機体が万全であれば、という条件が付く。
各所の断線した回路を使わずに目的の箇所を動作させるべく、本来とは違うラインで魔力を使う為、動きが僅かに遅れることになるし、何より、脚部シールドが破損していることが痛い。
デモンベインの移動は脚部シールドに内蔵された断鎖術式によるものが大きい。その使用が制限されている現状、デモンベインの機動力は完調時の4割を切る。単純な1歩2歩の踏み込みに支障はないが、ある程度以上の距離を、敵の攻撃を回避しながら走行するのは至難の業となる。
「だったら、今本体を叩くまでだ!」
飽くまで動かないというなら、致命的な距離が開く前に飛び込んで胴体を両断するだけのこと。爆風や破片は自分が盾になって病院を守ればいい!
気合の声と共に魔力を注ぎ、デモンベインを可能な限りの全速力で前進させる。
切り払い損ねた鉤爪が肩の装甲を削るが、構わず走る。皇餓の二刀は如何な重装甲の鬼械神といえど防げる威力ではない。腕を伸ばして防御できない今のクラーケンはむしろ必殺の機に無防備を晒しているに等しい。
この隙を逃さず仕留め、すぐにロードビヤーキーの相手に回らなければならない。
「貰ったぞ、カリグラ――!」
「舐めるナァァァァアア!」
しかし、振り下ろされた二刀は、カリグラの叫びと共にクラーケン正面に出現した白い光によって阻まれた。防御の魔術陣として展開された光は、鬼械神が持つオリハルコンの刀をも破壊する。
「っ、嵌められ――」
状況を理解して跳び退こうとするが、既に遅い。
クラーケンの両腕はデモンベインを中心に回転して絡まり、ロープのように捕縛してしまった。
「衛宮君!? え、きゃぁぁっ」
「オラ、余所見してんじゃねえぞイソギンチャク!」
空中でもまた、えりと水のネクロノーム、ヴァルナはロードビヤーキーを相手に苦戦を強いられていた。
えりがクラーケンに捕まったデモンベインに気を取られた瞬間、ライフルの射撃が襲う。
射出したライフルの銃口よりも遥かに巨大な光弾は機体の1/3から1/4ほどもあり、直撃すればネクロノームといえどただでは済まないだろう。
ヴァルナは空気中の水分を凝縮させて半透明の盾を作りそれを防ぐのだが、ロードビヤーキーの放つ光弾はそれを一撃で破壊してしまう。えりに伝わる衝撃もまた大きい。
装甲に限って言えば、ネクロノームは鬼械神よりも弱い。
通常の戦闘機や戦車とは比べるべくもないし、それらが積んでいる兵器のほとんどを無効化できるが、鬼械神の攻撃となれば話は別だ。
その理由は、ネクロノームが開発された目的に起因していると言える。
元来、ネクロノームは太古の地球に棲んでいた種族「
故に、ネクロノームの攻撃機能のほとんどはあくまで区域ごとの殲滅を目的として作られている。〈水〉の属性を持つヴァルナはその有り余る魔力で海を割り、津波を起こし、大河を氾濫させ、気象に干渉し無数の雷を降らせ雨を王水に変えることすら可能だが、対等かそれに近い者「だけ」を破壊する為の魔術戦闘には向いていないのだ。
さらにはもう1つ、苦戦の理由がある。
「遅ェ遅ェ、蠅が留まるっての!」
「……っ!」
なんとかして懐に飛び込み、ヴァルナの数少ない対個体用兵器の1つである氷の槍を突き出すが、次の瞬間にはロードビヤーキーはおらず、かすりもしない。むしろ無理に接近した分、ライフルを躱すことが困難になっている。
クラウディウスは空中戦に慣れているのか、ヴァルナの動きを正確に読みながらライフルを連射し、自身はその鬼械神随一の機動力で空を縦横無尽に飛び回る。
『えり、〈ロードビヤーキー〉と格闘戦をするのは不可能だ。下の人間を殺さないためには、船舶のいない海上へおびき出すか、離脱するしかない』
ヴァルナの言葉は正しい。
足跡を追われたのも誤算なら、追ってきたのがクラウディウスだったのも大きな誤算だった。
こと1対1の空中戦において、ロードビヤーキーの右に出る者はいない。大規模破壊を封じてなお空であれとまともに戦えるのは〈風〉の〈n〉、ベントゥスくらいだろう。尤も、ヴァルナに比べれば遥かに相性が良いという程度で、今まで一度とて勝敗は決していないのだが……
「……そうね。けどあれが相手だとどうしても追いつかれるわ」
こんな時、仲間ならどう戦うだろう?
ネクロノームの扱いに最も長けた坊門なら、戦術知識の豊富な名和なら、何でも人並み以上にこなす後光院なら、格闘センスの優れた光頼なら……
「もう少し待って。1人で戦ってる訳じゃないもの。勝機はきっとある」
「ゲェーハッハッハ、何が魔を断つ者か!」
クラーケンの両腕を振り回し、カリグラが笑う。
デモンベインは地面を引き摺られ、時として宙に浮き、再び叩きつけられる。そのたびに大地は抉れ、民家は倒壊し、機械は軋む。
「調子に……乗るなっ!」
「ヌゥ――ッ」
声とともに腕は切断され、デモンベインが自由になってゴロゴロを転がってゆく。
士郎は己の機体と巻き付く腕の「間」に刀を投影したのだった。結果として自身の胴体にも傷を付けることになったが、やむを得ない。
デモンベインを立ち上がらせ、間合いを取る。
対するクラーケンは片腕を失った反動で転倒し、立ち上がるところだった。図らずも病院から多少引き離すことには成功したが、まさか武器がそれだけということもあるまい。魔術師である以上、攻め手はいくらでもあるに違いない。
(どうする)
皇餓の二刀では防御陣を突破できない。或いはティトゥスの使う本物の皇餓ならできるのかもしれないが、今のデモンベイン、つまり衛宮士郎と《ネクロノミコン新釈》では魔力が足りない。
ある意味、奇妙なことではあった。それはつまり、デモンベインは魔導書と直接の結びつきがない独立した鬼械神でありながら、自前で鬼械神を招喚可能な魔導書を使って起動させることを想定しているということなのだから。
「投影、開始」
7度目の投影。2年前、聖杯戦争が始まった頃の士郎ならば確実に魔力切れを起こしている回数だ。今でも余裕という訳ではないが、《ネクロノミコン新釈》のサポートでなんとか息を乱さずに使用できている。
迫る鉤爪を二刀で切り払い、じりじりと後退しながら士郎は考え続ける。
(……どうする?)
敵を打倒する方法なら、ある。
おそらく、クラーケンには防げまい。あの少女が駆るロボット――ティトゥスは魔術機と言っていたか――が苦戦しているらしいロードビヤーキーも同様だ。どれほど空高く飛ぼうが、魔導書と鬼械神に補強された士郎の眼からは逃れられない。
だが、問題は2つある。
1つはそれを実行するにあたり、士郎が持つ最後の切り札ほどではないにせよ、それなりの時間を要することだ。
「……っ!?」
背筋を電流のように走る危機感に、デモンベインを飛び退かせる。そして轟音。一瞬前までいた場所には、機体の倍はありそうな巨大な氷塊が突き刺さっていた。
隙を見せれば、このような攻撃が降ってくるという訳だ。
第2の問題は単純な魔力量。
失敗すれば次はない。次策を考えるよりも先にデモンベインが止まるだろう。
何か確実性を増すような策があればいいのだが、こうして1対1で対峙している以上、そうそう状況を変化させる要因などある筈もなく――
「――1対1?」
ふと、思い出す。役割分担はしても、それに縛られる必要など無いことに。
空を飛ぶ異妖なる威容を見上げる。数百の触手を蠢かせる真鍮の魔術機。そして思い出す。水の盾、氷の槍。クラウディウスの攻撃を液体となって擦り抜けた少女。
間違っていた。デモンベインを知って興奮していたせいだろう。それとも、やはり性格だろうか。何でも1人でやらなければならない気がしていた。
衛宮士郎は戦士ではなく魔術師だということを、ティトゥスとの戦いで思い知ったばかりだというのに。
魔導書に命じて、魔術機へ通信を開く。
「なに? 大丈夫?」
心配そうな声が届く。戦闘中も彼女はずっと士郎を気にかけてくれていたということだ。申し訳ない気持ちで一杯になりながら、力強く言葉を返す。
「――協力しよう」
「なんだ!?」
クラウディウスとカリグラが異変に気付いたのは、辺りが暗くなり、いよいよ戦闘に支障を来すようになってからだった。
もうそんな時間だったろうか、と首を傾げるが、その体内時計も間違ってはいない。事実、まだ昼過ぎであった。
だが、そんなことを考えている間にもいよいよ光量は減り、視界は悪くなる一方だ。
上を見れば、いつの間にか黒雲が空を覆っている。その異常な厚さの雨雲は陽光を遮断して地上を闇に包む。
否、それは黒雲だけによるものではない。
周囲の光景に靄がかかっている。鬼械神側の映像の不調ではなく、それ自体が魔力を発する濃霧が発生している。1階が燃え、また病棟では電灯がついている筈の病院でさえ、10メートルも離れれば影さえ見えない。
僅かな光をも乱反射させて半歩先すら見えぬ、高さ、直径ともに数十キロに及ぶ巨大な闇の牢獄を作り上げていた。
「何処だ、何処へ行った!?」
慌てたカリグラががむしゃらにクラーケンの腕を振り回すが、既に元の位置にデモンベインはいない。さらに、
「待て、落ち着けカリグラ、下手に動くな!」
「グゥォオオ!?」
警告とほぼ同時に、カリグラの悲鳴があがる。
魔力を持った濃霧が互いの姿と魔力反応を消し去ろうが、暴れ回ればさすがに位置は伝わる。全長50メートルの鬼械神はたとえ当てずっぽうでも良い的だろう。駆動音程度なら霧が乱反射させて方向を特定させずに済むだろうが……
「糞、奴ら何のつもりだ……?」
これがネクロノームの仕業であることはすぐに分かった。充満する「水」の魔力からもそれは明らかであるし、なによりデモンベインにはこのような大規模な広域魔術を使う魔力がない。だが、その目的が分からない。
離脱する気配はない。かといって敵にだけは位置が分かる……ということでもないらしい。もしそうなら、今頃既にクラーケンは蜂の巣になっている。
たとえ見えずとも、ライフルを連射して絨毯爆撃よろしくまとめて破壊する手もあるのだが、それもまずい。
彼らの目的は抹殺ではなく、捕獲だからだ。多少の破壊は大目に見られるとはいえ、まさか残骸を持ち帰る訳にもいくまい。破壊すべきはネクロノームなのだが、流石に飛行しているものをこの暗闇の中で仕留めるのは難しい。
なら、こちらが一時離脱するべきか? いかに位置を特定されようと、ロードビヤーキーに追いつける訳もない。カリグラを置いてゆくことになるが、逃げるだけならどうとでもなるだろう。
(いや、それが狙いってことか?)
考えられることだ。
敵はこちらがデモンベインを完全に破壊できない事には気付いているだろう。そうして打つ手のなくなったロードビヤーキーとクラーケンを引き離し、1機を2機で倒すために一時的な目眩ましをかけてきているのか。
「だったら――」
もしそうなら、それは無駄なことだ。
「イア――イア――ハスター――」
何故なら、「水」を払うのは「風」。
ネクロノームがいかに大魔力を用いてこの闇を作ろうと、その組成は雲と霧、即ち水だ。
「ハスター――クフアヤム――ブルグトム――ブグトラグルン――ブルグトム――」
風神ハスターの加護を受ける鬼械神ロードビヤーキーがこの闇を打ち祓えぬ道理がない――!
「アイ! アイ! ハストゥゥゥゥゥゥル!」」
ビヤーキーの招喚に使われる呪文、ハスターへの最も基本的な祈りがロードビヤーキーの魔術を起動し、機体を中心に突風を起こす。
それはやがて竜巻となり、ただかき回されるだけだった闇は次第に遠心力に引かれて外側へ外側へと押され、光の差す空間が広がってゆく。
クラウディウスはその竜巻の半径を少しずつ大きくする。その分外側の風力は弱まり、破壊力はなくなるが、そんなことは問題ではない。雲に穴を開け、霧さえ払うことが出来れば状況は元に戻るのだから、ネクロノームとデモンベインの相手はその後でやればいい。
一度光が差せば、全体の闇が晴れるのは速かった。
濃霧はあくまで周囲の数百キロを覆う黒雲によって光量が激減している事を前提にした補助的なもので、いくら視界が悪かろうと50メートルの鋼鉄の塊や空を飛ぶ17メートルの化け物が見えなくなるようなことはない。
そうして風を広げ、戦場を元通りの光の空間に変え――クラウディウスは、己の失策を悟った。
地上のデモンベインが、まるで闇を祓ったのは己だとでも言うように毅然と立っている。
その周囲には十数本もの巨大な剣を浮遊させ、自身は漆黒の弓を構え、その全てをロードビヤーキーへと向けていた。
――なんとかして、敵に自分が見えない状況が作れないか? その間はこっちも攻撃ができなくても良いから。
そう提案した士郎も、まさかここまで理想的な環境が出来上がるとは思っていなかった。
闇の中、士郎は
「投影、開始」
ただし、ただその手に握るそれよりも、もう一歩だけ踏み込んで式を編む。
かつてほんの数回だけ見た、投影剣の射出。無限ではないが、その代わり必要な投影の分だけの魔力消費で行える秘技の1つ。
計16本の皇餓の刀を投影し、そしてデモンベインの左手に弓を作る。
時間は稼いだ。これからは、魔力との勝負だ。
「――
呪文を1節加え、幻想をアレンジする。
おそらくはこんな時の為に弓兵によってカスタマイズされた螺旋の剣。
それを身体の裡に抱え、あとは待つだけで良かった。
敵がこの闇を祓い、その大魔術のために無防備になる瞬間を。
「糞ッ、テメェ、狙いは最初からボクだってのか!?」
クラウディウスが悲鳴をあげるが、既に遅い。
「同調、開始」
士郎の号令と共に、16の刀がロードビヤーキーへと飛来する。
「ティトゥス! あんの間抜け! なにコピーさせてやがる! 糞、この
既に誰に向けられるとも知れぬ罵声をあげながら。ロードビヤーキーを回避に移らせる。が、風が弱い。濃霧を祓う大規模の竜巻のせいで次の行動に移る魔力が溜まるまでに僅かなラグが生じている。今は、その僅かな間が致命的だ。
「糞、糞糞糞! 誰に向けて撃ってやがる! このボクに!」
それでも辛うじて躱してゆく。肩を、脚を、腕を削りながら、コクピットを含む胴体、そして背中のバーニアを守る。とにかく生き延びるのに必要な部位を残す事を最優先にして、ぎりぎりの回避を続ける。
それは正しい。鬼械神も本体が無事な状態であれば、いずれ魔導書の記述の中で復元される。あとは魔術師さえ生きていれば、また戦えるのだ。
だが、この状況もまた、初めから分かっていたことである。
皇餓の刀もまた、目眩ましに過ぎない。おそらくロードビヤーキーの機動性は、矢をいくつ飛ばそうがそれがただの矢である限り捌ききるだろう。
だから、それら全てを逃げ場を封じる為だけに使い、とどめは衛宮士郎が知る最も射撃に適した剣で刺す――!
「――
既に用意していた投影を具現化させる。矢の代わりにデモンベインの右手に顕れるのは、刃がドリルのように捻れた奇妙な魔剣。
そうして始まる激しい魔力消費。本来のデモンベインのサイズではないものを巨大化させる事で生まれる、否定と剣製のループが士郎を苛む。無駄な魔術の連続使用のせいか、コクピット内にも紫電が走る。
故に、一度きり。まだ自由に剣の
これこそが本物と集中力で記憶をねじ伏せ、ぎりぎりまで魔力消費を切りつめたこの一矢が、今の衛宮士郎の限界。
「クラウディウスゥゥゥ――! ッ!? グォォオオ!?」
クラーケンがカリグラの悲鳴のような雄叫びを響かせ、デモンベインへと迫るが、行動が致命的に遅い。その巨大な両肩をヴァルナの放った氷の槍に貫かれ、転倒する。
そうしている間にデモンベインは剣を弓につがえ、その銘とともにロードビヤーキーへ向けて撃ち出す。
「――
「糞、まだ! まだあるってのか! 糞、動け! ぶっ殺すぞこの糞蟲が!」
竜巻の大魔術によって魔力を使い、16の刀の回避によって瞬発力を使い切り、今この瞬間だけは、ロードビヤーキーに動く部位など無い。姿勢もろくに整えられぬ鬼械神の中で、クラウディウスの錯乱した声が響く。
だが、状況は完全に詰みだ。螺旋の魔剣は無情にその無防備な胴体へ迫る。
そして剣は狙い違わずその胸部へと根本まで突き刺さり、
「動け、動けってんだよこの便所蟲、糞、贋作魔術師の分際でこのボクを殺すってのか、畜生――――――!」
その悲鳴ごと鬼械神を飲み込み、爆砕した。
4
「――カリグラは?」
「……逃げちゃったみたい。ごめんなさい」
「いや、それは良いんだ。近くにいないならそれで」
短い会話を交わして、笑う。
士郎には責めるつもりはない。氷の槍がわざとコクピットを外されたもので、またわざと逃亡を見逃したのだとしても。
それが誰の為であれ、他人に殺しを強制するような男になるつもりはないし、きっとその優しさで海岸の自分も救われたのだろうと思えたから。
士郎は今、デモンベインのコクピットハッチの上に立ち、少女はそこへ伸ばされた魔術機の手の上に立っている。
こちらが理由を知っていることも察しているのだろう、少女は余計にすまなそうな顔をして薄く微笑む。
「……ねえ、どうしてあの時、助けに入ってきたの?」
と、少女はそんなことを訊いてきた。話題を変えて誤魔化そうという訳でもないだろうが、少し怒ったような顔を作っている。
(ような? ああ、いや、違うな)
はた、と思いつく。それは知っている女性がよくする表情だと。
彼女はきっと本当に怒っているのだろう。自分が救われたこととは別に、危険な場所へ自ら飛び込む馬鹿を叱ろうという、つまりは善人の顔。
だから、善い人には士郎もまた、正直に応えなければならない。
「お礼、まだ言ってなかっただろ。海岸で助けて貰ってからさ。」
予想通りというべきか。少女はきょとん、とした顔で士郎を数秒見つめて、やれやれ、とでも言いたげな呆れた顔で苦笑してしまった。
「だから、ありがとう。君のおかげで助かった」
「ふふ。どういたしまして」
笑われるか余計に怒られるかと思ったが、存外に嬉しそうな顔で、少女は返す。
士郎はまだ知らない。彼女らがアンチクロスだけでなく世界中の軍に敵として追われる、帰る場所も味方もなく、誰を救おうと感謝もない、たった5人だけの戦士であることを。
「それでさ」
「ん、なに?」
まだ何かあったかしら、と少女は怪訝な顔で聞き返してくる。
「名前、まだ聞いてないんだけどな」
そんなに変なことだろうか、と不安になりながら、照れ隠しに鼻なぞ掻きながら言葉を続ける。
今度こそ少女は、ぷっ、と吹き出した。
(やっぱり笑われたか)
文句を言うのも筋違いなので、黙って待つことにする。多少、顔が憮然としてしまうのは仕方がないとして。
士郎は戦う決意をしたのだ。だから、彼女と共同戦線を張るのが最も効率的で、そのためにはやはり名前を交換し合うのが最初の契約ではあるまいか……と思ったのだが、説明を端折りすぎたらしい。
「ごめんなさい。まだ名乗ってなかったわね。わたしは神足えり。この子は――」
と、自分が乗っている掌からその本体へと指す手を動かす。
「――ヴァルナよ。よろしくね」
「あ、ああ、俺は衛宮士郎。この鬼械神はデモンベイン。……借り物だけどな」
応え、互いに手を差しのばして固い握手をする。
病院は消火活動が始まっている。
今も胸に刺さる棘、救い損ねた人々の死はこれからも苛み続けるだろう。
だが、士郎は出逢ってしまった。魔を断つ剣と。
出遭ってしまった。日常を侵す邪悪と。
だから、いつか辿り着くと信じて、今は
今も胸の裡に響く遠い剣戟と、目蓋に灼き付いた赤い背中を目指して。
5
女は、コンビニエンスストアの屋根から飛び降りて、歩き始める。
士郎達を望遠カメラで撮影していた女である。
その姿は多くの野次馬と同じく、飽きたか、フィルムが切れたかで帰るような、どこにでもいる当たり前の女だった。……ある一点を除いて。
首から下げられているペンダント。10センチほどの円形のメダルが、太陽の光を受けてなお黒々と輝いている。
もし、そのメダルに刻まれた紋様を正面から見た者がいれば、理由のない恐怖と嫌悪感に苛まれるか、或いは嘔吐する者さえ出るかもしれない。その紋様は、蛸のような生物がその触腕で蜷局を巻くような姿を上から見たような形になっていた。
誰が知ろう。その紋様こそが邪神の崇拝、否、復活を企てている巨大な陰謀組織「コスモ・マトリックス」の信者の証であると。
カメラを収めたバッグ、その一番外側のポケットが震える。
女はそこから携帯電話を取り出して通話ボタンを押し、耳に当てる。
「「シンプソン」?」
「……「ジャンヌ」だな。首尾は」
こういう馬鹿げた偽名でのやりとりは幼稚な映画のようで女の好むところではないのだが、コスモ・マトリックスに入信した際に本名は棄ててしまった。
意味もなくそのことを後悔しながらも、答えには澱みがない。
「ええ、いい絵が撮れたわ。あとは然るべきところへ持ってゆくだけ」
そう、思わず笑みが零れるほど今回の仕事は完璧だ。
なにせ、ターゲットに加えて、普段は特殊なステルス機能でなかなか姿を現さないネクロノームの撮影にまで成功したのだから。
「そうか。間桐様もお喜びになるだろう」
しかしその名を聞くと、喜びもやや萎える。
電話の相手は何気なく口にしたのだろうが、トップを失ったコスモ・マトリックスをいつの間にか掌握していた間桐臓硯が、その方法も本当に彼女らの目的を達成する意志があるのかも未だ不明で、薄気味悪いのだ。
が、現時点で最高権力を持っていることも確かだ。下手に嫌そうな反応を見せて叛意有り、等と思われるのも面白くない。
こういう場合は、会話をすぐに打ち切ることにする。
「それじゃ切るわね。他に指示はない?」
「いや、御苦労だった。――
「クオ・クオ・ウェルサム」
コスモ・マトリックス信者の合い言葉とも言える聖句を互いに口にしながら電話を切り、再び歩いてゆく。
コスモ・マトリックス信者の女の歩く先から、ナイアは10分ほど前まで戦場だった場所へと目を戻す。そこでは今、鬼械神がネクロノームの触手に掴まれるようにして浮かび、少しずつ色を失いながら運ばれていくところだった。
目に映らず、しかし間違いなくそこにある威容は、とうとうアンチクロスと、コスモ・マトリックスと本格的に敵対することを決めたようだ。
だから、
「お見事。素敵な戦いだったよ衛宮士郎君に神足えり君。僕は感動したよ」
言いながら、誰も聞くことのない盛大な拍手を贈る。
「さあさあ、次は誰がどう動くのかな? 僕は楽しみで愉しみで仕方ないよ。これから君の重い試練を知ることになる君の大切な人々はどうするのかな?」
その喜悦の笑みは、やはりいつものように嘲笑でもあり。
そうして去ってゆく戦士に、しばしの別れを告げる。
「それではまた次の戦場で。またね、