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2004/09/24

Recurring Nightmare 第16話「Celestial Sword」

   1


 夜明けまで、あと数時間。
 一切の街の灯と喧噪がなりを潜めた真の闇の中、己の存在を世界に誇示するように赤黒い威容は屹立していた。
 全長50メートルの巨像は、その巨大さを抜きにしてもなお異様。
 フォルムだけなら、丸みを帯び、どこかずんぐりむっくりとしたその人型に愛嬌を感じる者もいたかもしれない。だが、その振り撒く瘴気、その機体が纏う靄のようなものの正体が、数万にも上る死した人間の怨念だと知ってなお、そんな感想が抱けるだろうか。
 ただ立っているだけであるにも関わらず吐き気を催すほどの邪悪さ、そして何より、
「馬鹿な。あれが……全て魔力で編まれているというのか……!?」
 セイバーの眼には、数百メートル先の闇で自ら発光しているかのように淡い輪郭線を形作るその巨人が、人間よりもさらに小さな霊核を中心とし、それ以外は頭から足の爪先に至るまで魔術情報体で構成されているのがはっきりと映し出されていた。
 その情報密度たるや、セイバー自身やかつての強敵のような一級のサーヴァントにも迫ろうかというほど。間違いなく、それはただの神像などではなく、精霊、神霊を相手取って戦うことをも想定にした戦闘用魔術兵葬だといえた。
「そんな魔力をどこから……そうか」
 セイバーは呆然と見上げていた巨神像から目を外し、正面のティトゥスへと向き直って睨みつける。
 見せた隙に斬りかかる様子もなく、刀の片方を肩に担ぎ、残りを下段に構えて待っていたティトゥスが、視線の意味を理解して笑う。
「気付いたか。その通り、あれこそが魔導書の真なる最秘奥。鬼械神よ」
「デウス……マキナ」
 その神秘を、セイバーは聞いたことがない。
 おそらく、自分が生きた頃にはまだその理論は確立していなかったのだろう。魔術も魔法もまだ未分化なところのある時代だったが、そんな時代の中でも特に博識で、高位の術者だったと思われる彼女の師も、その名を口にすることはなかった。
 尤も、セイバーが生きて駆け抜けたのはあのような巨大な人型と同格の存在や、そのモデルになったような神秘がまだ人間によって世界の裏側へと追いやられていない時代であったことも事実なのだが。
 ゆえに、セイバーが驚愕するのはその理外の存在にではなく、それを扱える術者が現代においても生まれ得るという事実に対して、そして似た存在がもう一機、それに戦いを挑んでいるらしいことである。
「しかし、やはり気圧されぬか、流石。拙者は生まれて初めて皇餓を喚び出した時など、震えが来た程なのだがな」
 無論、セイバーも威圧感は感じている。
 だが、その巨大な魔力と姿を見ると、セイバーの胸の奥底が軋むのだ。
 思い出されるのは、半ばで途切れる女の声。

 セイ――

 知らず、歯を噛み締める。ぎり、と擦れた音は、或いはティトゥスにも聞こえたかもしれない。
 胸に刻まれた主の悲鳴が、夜空を飛び去る緑色の巨人が、アレを許すなと、アレを誅するまで己を赦すなと叫ぶのだ。
「……その最秘奥。貴公は使わないのか」
 知らず、セイバーはざわざわと胸の裡で暴れ衝き上げる何かに押され、そんな挑発じみた言葉を発していた。
 少なくとも、余裕から出たものでないのは確かだった。
 ティトゥスの筋力、速度、身長、歩幅、間合い、癖……そして、不可解な斬撃を予知する己の直感。打ち合いから得られたそれらの情報がセイバーの中で再構築され、知性による理解とは別の形で像を結ぶ。
 予測というよりも予知と呼ばれるその現象は、セイバーに己の首が飛ぶ姿ばかりを見せる。それが視えているゆえに回避できており、それこそがセイバーの強みであるのも確かだが、打開策を見出さなければいつか喰らうだろうという予感がある。
 おそらく、向こうにとっても同じだろう。文字通り目に留まることのないセイバーの剣が己の刀を砕くたび、ティトゥスは自身の命を削られるような思いに駆られているに違いない。
 そう、認めるしかない。主との距離や、聖杯が存在しないことなど、様々な要因はあるが――現在のセイバーと第十代皇帝の名を持つアンチクロスは、結局のところ互角なのだ。
 現状ではやや有利に立っている感触はあるが、時間をかけ過ぎれば立場は逆転するだろう。魔導書のサポートを受け、その魔力で己が肉体を別の物に変えたティトゥスと、あくまで少女の身体のまま、攻撃、防御から移動に至るまであらゆる動作に魔力を推進剤として噴射し続けるセイバーでは燃費が違いすぎる。
 動きに僅かでも遅れが生じた時こそ、敵の「奥の手」は牙を剥き、セイバーの見る未来は確実な物になるに違いない。
 このままの打ち合いを続けて敗北するよりも、変化を。たとえ、敵が圧倒的な存在になるとしても――そんな思いが、セイバーの口をついて出たのかもしれない。
「ふ、お主が使うならば、拙者も使うがな。腕の修復も完了したところで調子を試したくはあったのだが」
 からかうような、或いは残念がるような響きのある言葉は、つまり相手に合わせた条件で戦いたい、という意味か。
「……む?」
 と、セイバーは自身の問いに対する直接の答とは別のところに引っかかりを覚えた。
「なんだと……腕の修復……?」
 修復した、ということは、やはり破壊されたということだろう。しかしあの赤い巨人のような魔術情報体で構成された機体に傷を付けうるものといえば、同格かそれ以上の神秘しか考えられない。
 それは例えば、セイバーのようなサーヴァント。そして例えば、別の鬼械神。そして――
(――まさか)
 意識の端で、微かに閃くものがあった。
 何故だろう。
 勝利するかはともかく、強力な概念武装ならば傷を付けるくらいなら問題ない。可能性でいえば、現在赤い鬼械神と戦闘している魔力の塊など最右翼だろう。しかし何故か、セイバーの脳裏には全く無関係な1人しか候補が浮かばない。
 そう、アンチクロスは最初、開いた《門》へとやってきて、出現した少女を捕らえるべくセイバーや凛と敵対したのだ。
 仮に、あの少女がどの《門》からやってくるのか、彼らアンチクロスの情報力をしてなお事前には分からなかったとしたら?
 ロンドンへとやって来たカリグラとは別のアンチクロスもまた他の《門》へと向かっており、そこでも何者かと衝突し、結果としてティトゥスの鬼械神に傷が付いたのだとしたら。
「――その、敵はどうした」
 威圧的な重い声を絞り出したつもりだったが、震えずにはいられなかった。
 できれば、こんな勘は当たって欲しくないと心から思う。しかし、セイバーの二十数年の人生の中で、直感を無視した結果失敗することはあっても、それが外れたことだけはないのも事実だった。
 浮かんだ顔は、笑顔よりも仏頂面の方が多かったように思う。
 聖杯戦争が終わってからの2年間にも、様々なトラブルに出遭った。そんな中、もっと自分を省みろという忠告を受けた少年は、決まって不貞腐れたような顔で、それは順番が違う、なんてことを当たり前のように言うのだ。
 そんな少年――今は青年へと成長した――が、たとえば旅客機の墜落事件に関わっている魔術師を見てしまったら。あまつさえ、その現場に出くわしてしまったら……?
「決着は未だついておらぬ。……あの男、恐るべき剣製の才よ。我が皇餓の二刀を軽々としてみせたのだからな」
 まるで我が事を自慢するかのように口元を歪めて話すティトゥスに、セイバーは目が眩むような思いがした。
(この、男、が……)
 動悸が速まり、脚が震える。その感情の正体に考えを巡らせるよりも早く、セイバーの舌は無意識に次の言葉を発していた。
「その……魔術師の名は」
 もはや、投げかける必要のない疑問。むしろ聞きたくないとさえ思う。だが事実は無情に告げられる。

「衛宮――士郎」

「――――――っ!」
 血液が沸騰した。そう錯覚した時には、セイバーは既に飛び出していた。
 魔力の残量もティトゥスの隠し球を探る算段も、その瞬間全て忘れた。己の肉体への負荷など微塵も考えない魔力放出に、セイバーの通り過ぎた空間には圧縮波で軋むような音が鳴り響き、雨で緩くなった地面では泥が舞った。
 幾度目かの激突。
 一振りごとに魔力爆発を起こすセイバーの斬撃を受け捌くことなど叶わない。ゆえにティトゥスは体勢を崩すリスクを背負って無理な体捌きで躱すか、1つ得物を失って回避の確率を上げるかの選択を一合ごとに迫られることになる。
 セイバーもまた、得物を破壊しても思うように隙を作れないことが心理ストレスを蓄積させていたが、その繰り返しによって、ティトゥスが刀を失ってから次の刀を戦闘に使用できる形に生成するまでのタイムラグを正確に把握していた。
 要は刀をどうかいくぐるかではなく、如何に防がざるを得ない状況を作るか。そして出来た隙を如何に素早く突くかだ。今までのセイバーは、危険信号の正体が掴めずに回避に時間をかけすぎるか、ティトゥスの一時離脱を許してしまっていた。無限にたてが張られるならば、時間こそが敵であるのは明らかなのにだ。
 要は退かないこと、退かせないこと。
 言うは易しだが、実のところそれが長い目で見て最もリスクの少ない方法だと、セイバーの剣士としての身体は結論を出していた。
「はぁっ!」
 まずは1つ。それまでよりさらに半歩踏み込んだ一撃の気迫に押されたか、ティトゥスが受けに回った右の刀は根本から砕け、用を為さないただの柄と化した。
 迫るティトゥスの左刀。直接首を刎ねんと横一文字に薙がれるそれをブリッジをするように背を大きく反らして躱し、犠牲を喉の皮一枚に留める。普段ならばもう半歩下がり、再度前進して胴を狙うところだが、今回はコンマゼロ秒との勝負だ。
 初太刀で振り下ろした剣を魔力でバウンドするように跳ね上げ、そのまま振り上げる。
「ぬ――!」
 セイバーの剣は、半歩踏み込まねば届かぬ胴でも腕でもなく、ただ躱した直後、伸びきった腕の先にある左手の刀を打ち砕いた。
 僅かな間髪も置くことなく、脊椎を粉砕するかのような勢いで背中で魔力を爆発させる。セイバーは後ろに倒れ込もうとする頭を無理矢理引き戻して姿勢を正し、第三撃を振り下ろしながら踏み込んだ。
(さあ、どう来る――)
 ティトゥスの両手は新たな刃を生み出しにかかる。だがセイバーはそれを無視した。この瞬間、全ての武器を失い、再生成が間に合わぬ刹那よりもなお短い光の閃きほどの僅かな時間をこそ、セイバーは待っていたのだ。
 ティトゥスがどのような妙技であり得ない方向に刃を繰り出すつもりであったにせよ、
「これで……っ!」
 縦一閃、セイバーの渾身の一太刀が無防備を晒すティトゥスを頭から両断する――
 そう思えた。
 だがセイバーには、ある誤解があった。
 なまじ一度、2年前に剣の天才を見てしまっただけに、不可思議な方向からの刃を「技」だと思い込んでしまっていた。より正確には、そんな規格外の存在を見てしまった経験が、そんな筈はないとは思いながらも、自分の思いもよらない特殊な剣技があるのではないかという疑いを捨てきれずにいた。
 或いはもっと単純に、激昂した自分自身を抑えることに失敗しただけかもしれない。
 いずれの理由にせよ、そこに現れたまさしく思いもよらないティトゥスのを認識した時、脳髄を灼く危険信号に従う反射行動は、普段より僅か、ほんの少しだけ――遅かった。
 上段で打ち合わされた剣戟に慣れた目の死角を突くかのように、から迫る斬撃。
「――!」
 息を呑む間も惜しみながら、剣の軌道を変えてあり得ないはずの第三刀を迎え撃ち、後退する。が、そこまでだった。
「――――斬!」
 神速の踏み込み。跳躍し宙に浮いたセイバーの胴を、ティトゥスのやはりあり得るはずのない4本目の刀が横一文字に薙ぎ払った。


   2


 再びベントゥスのコクピットへと舞い戻り、光頼はハンドルを握りしめる。
 実のところ、ネクロノームの運動、魔術といった行動の全てはネクロノームの内臓知能自身が行い、光頼が操縦するという訳ではないのだが、魔術機の力は乗り手との精神同調の強さによって発揮されると言って良い。
 言ってしまえば、バイクを模したハンドルも計器類も、「光頼が操縦している」というイメージを想起させやすいよう、ベントゥスによって作られた飾りである。
 光頼は、ベルゼビュートの招喚を阻止できなかったことに舌打ちしながら、ベントゥスとの同調を開始する。
「ベルゼビュート……サタンに次ぐ権力を持つ魔王……だっけか」
 髑髏マークの羽根を生やした巨大な蠅の姿が有名だが、目の前にいる鬼械神はそういうイメージで創られたものではないらしい。ルードヴィヒ・プリンが《妖蛆の秘密》を著したのはコラン・ド・プランシーの地獄の辞典よりも200年以上前のことで、当然といえば当然のことといえたが、赤い布状の外套をすっぽりと覆ったいかにも妖術師然とした姿は、一体誰のどんな意識を具現化したのだろう。
 或いは――
「案外、あいつが最初に《妖蛆の秘密》から鬼械神を喚び出したんだったりしてな」
 どうでもいいことでは、あるのだが。
「とにかく、あいつを倒すぜ。死人を出さないようにしてな」
『了解した。ではまず、そちらの女性の避難を助ける為、敵の攻撃を誘導することから始めよう。光頼と心を1つにして……』

 18メートルの巨体は、音もなく地を離れる。
 自身よりもさらに巨大なベルゼビュートの頭を軽く飛び越え、風を切りながら宙返りを繰り返しながら上昇し、地上からおよそ100メートルほどの空中に制止した。
 ベルゼビュートの全長のおよそ倍ほどの高さに位置するベントゥスだが、ティベリウスはそれをせせら笑う。
「ふふん、空になんか逃がす訳無いでしょ! このベルゼビュートを皇餓やクラーケンと一緒にしないことね! ――ティビ・マグナム・インノミナンドゥム・シグナ・ステラルム・ニグラルム・エト・ブファニフォルミス・サドクァエ・シギラム!」
 ティベリウスの呪文に応え、周囲でが蠢いた。
 姿を見せず、音を発することなく、魔力を漏らすこともない。不可視の何者かが一瞬、空間を歪ませ、そして再び消えた。
「……分かるか、ベントゥス?」
『分析開始……』
 通常のスクリーンではない、ネクロノームによって光頼に提供される客観視点の映像にも、ベルゼビュートが放った存在は映らない。だが不可視であるからといって、何かが起こったということすら分からない……という訳でもない。
 その呪文は先ほどルヴィアゼリッタを襲った怪物の招喚に使われたのと同じものだからだ。
 ベントゥスはバイクのエンジン音のようなものをコクピットに響かせながら、己に迫る何者かの存在を察知すべくセンサーを働かせる……が、その数秒後には機体が激しく揺れた。
「ぐ、糞、捕まったか!」
 エネルギーを感じ取る能力に乏しい光頼にも分かるほど、急激にベントゥスから力が抜けてゆく。そのさまは確かに先ほどの怪物か、それを模した何かによるものだと思えた。
 出力を失ってゆっくりと落ち始める機体。慌てる光頼だが、ベントゥスの冷静な声は揺るぎもしない。
『……分析完了。超高精度な光学的・電子的・魔術的迷彩を施された魔導兵器。位置を特定ののち、破壊する』
 ベントゥスが右手の杖を振り回すと、同時に爆発が起こった。
 触手や装甲に貼り付いていた不可視の何者かは、突起の生えた円盤状の機械だった。杖による打撃で破壊され、機能を失ったそれは黒煙を吐き出しながら地上へと落下してゆく。
 取り付いた人間から血を吸うが如くベントゥスから魔力を奪っていた数基の装置は、十数秒のうちには駆逐され、ベントゥスの魔術活動が再開された。
 とはいえ、それで事態が解決したかといえば、そんなことはなかった。
 ベントゥスの索敵能力を以てしてなおおぼろげにしか知覚できない円盤、正確にはそれの通り道に出来る微かな空気の流れが、周囲で渦巻いている。その数、3か、4か。それとももっとあるのか。
「おーっほっほっ。流石は魔導ロボットの本家本元ってトコかしらん。迷彩見破るのも早いわあ。けど、もっと早く壊さないと……スター・ヴァンパイアはどんどん増えてくわよん?」
 空に浮かぶ風神を見上げ、蠅の王は嘲り笑う。台詞の間にも、ベルゼビュートの背中が盛り上がり、何かを放出し続けている。
「調子に乗りやがって……行くぞベントゥス!」
『分かっている。……敵鬼械神を構成する因子の分析を完了。攻撃に移る』
 周囲の空気が変質した。機体が放出する青い粒子に操られるように、渦巻く旋風がベントゥスを覆う。
 全身を風に鎧われたベントゥスは、槍のように構えた杖を両手で支えながら一直線にティベリウスへと急降下する。風の防御を受けた体当たりによって、射線上にある不可視の魔導兵器が次々と小爆発を起こしてゆく。
 未だルヴィアゼリッタが安全圏に逃れた確信が持てないこともあり、大規模な竜巻なりかまいたちなりでまとめてスター・ヴァンパイアもろとも破壊、という訳にはいかない。かといってこのまま迷彩兵器の駆除に追われていれば、相手が次に何をしでかすか分からない。最悪、捕まって動きを封じられた瞬間に合わせて別の魔術を仕掛けられれば如何なネクロノームとてひとたまりもないだろう。
 ならば、やるべき事は1つ。
「そうそう! アンタらは地べたに降りて来りゃ良いの……よッ!」
 白兵戦武装による接近戦あるのみ!
「遅えっ!」
 ベントゥスはベルゼビュートの突き出した己の胴ほども太さのある腕を躱し、その青く輝く杖で頭を打ち払った。
 悲鳴もなく、ベルゼビュートの頭部はその尖った嘴のようなパーツごと粉砕された。赤い布状の外装に全身を覆われた鬼械神が、その内部を晒す。
「う……」
 思わず、嫌悪に呻き声を漏らしてしまった。
 鬼械神もまたその操手と同じく、というべきか。一部外套の剥がれたベルゼビュートの胴は、やはり絡み合う腐肉の塊だった。如何なる異界の理論によってか、ぬめる腐肉と蛆が湧いた贓物の混合物が擬似的に人体を模した形に集まり、外骨格のような僅かな金属の装甲を支えているのだった。
 そして何より気味の悪い光景は、砕け散った材質不明の破片は、本体から切り離された瞬間、液状に磨り潰された蠅と蛆の混合物へと変質し、落下したその大地を穢していることだった。
 見れば、その破片を受けたアスファルトの路面は溶解し、虫食いに侵された木の葉の如く穴を空け、その下の地面まで陥没していた。
「なんだ、ありゃ? ……浴びるなよ」
『言われるまでもない。敵魔術師は、わたしが破壊した鬼械神の破片を酸に変換したようだ。多芸なことだ』
 光頼の慌てた声に、青い盾を展開して飛び散る酸を防ぎながらベントゥスが応える。
 だが悠長に会話をしている余裕はない。首のないベルゼビュートは一瞬たりとも動きを止めることなく、至極当たり前のように腕を振り回して第2撃を加えてきた。
「油断大敵よん!」
「やべ……!」
 如何に強力な風の盾とはいえ、流石にそれだけで鬼械神の剛腕を破砕するには至らない。受け止めに回った杖を砕かれ、腕を叩き折られながら、ベントゥスは100メートル以上後ろに吹き飛ばされた。
 空気の流れを制御して急制動をかけ、宙返りしながら空中に静止するベントゥス。
「くそ。格闘戦までこなしやがるのか、あいつ」
 魔力量で勝ろうが、ネクロノームと鬼械神ではウェイトに差がありすぎるのだ。倒すことは叶わずとも、頭を潰せば衝撃で動きを止めることくらいは期待できるかとベントゥスも判断したのだろうが、確かに油断だった。
 とはいえ、それだけのことで不利になった訳でもない。
次元ディメンションメス、用意』
 ベントゥスの右手が手刀を形作ると同時に、青く輝く。右手は溶けて水のようになったかと思えば、次の瞬間には青い光と風の振動で構成された、刃渡り数メートルの巨大な刃へと変質していた。
 ベントゥスは、その巨大な光のメスと化した右手を、折れて破損した左手へと添える。
『腕部を構成する因子情報を参照。その表面に生じたあらゆるきずを消去させるよう、因子に命ずる』
 ベントゥスの宣言とともに、メスを覆う青い光は左腕の破損部分へと移動してゆく。光は空気を、水を、ベルゼビュートの打撃によって伝染した瘴気すらをも分解し、再構成して元の左腕を構築する。そして足りない部分は己が補うとばかりに、光自身も変質して腕のパーツとなる。
 そうして数秒ののちには、肘から先を失ったベントゥスの左腕は元の姿を取り戻していた。
 それが〈風〉の〈n〉、ベントゥスの力。無機物への霊的ヒーリングである。
 天候を操作するヴァルナや高熱の火球を吐くキュクローペスなどと比べ、攻撃性能という点においてやや劣るベントゥスが得意とするのが、自他を問わず働かせる破格の再生能力なのだった。
「あらあらまあまあ、こっちに勝るとも劣らない芸達者ぶりだこと。アタシ達、気が合いそうねん?」
 頭部の再生を同じく終えたベルゼビュートが、からかうような声を発する。
 そして再び歪む周囲の空間。有利な接近戦を誘う為、新たなスター・ヴァンパイアを生成しているのだった。
「ち……」
 光頼はコクピットで舌を打つ。
 分かってはいたことだが、不死性に特化したベルゼビュートと瞬発的な破壊能力に乏しいベントゥスでは、互いに決め手に欠ける。
 鬼械神を招喚する前のティベリウスなら、敢えて再生を繰り返させることで魔力切れを狙えたのだが、こうなっては攻撃で消費するこちらのエネルギーも馬鹿にならない。仮にそれが可能だったとして、鬼械神を相手にそんな規模の破壊を繰り返せば、間違いなく国家と協会を敵に回す。
「坊門さんとは絶対にやらないようにしてたからな、ティベリウスの野郎」
『如何な再生能力を持とうとも、虚空へ追放されては敵わないからな。だが今は無い物ねだりをしても仕方がない。周囲への被害を抑えつつ、戦術を練るとしよう』
 光頼の愚痴に答えながら、ベントゥスは風の盾を張り、杖を再生成して、背後から迫るスター・ヴァンパイアを振り切るようにしてベルゼビュートの懐へと飛び込んだ。



 ベントゥスに度肝を抜かれ謎の怪物に襲われ、さらにはベントゥスの倍以上の大きさを持つ巨神像が歩き出すのを見せられると、その身震いするような威圧感も些細なこと、もう何を見ても驚くまいと思う。
 だがそんな願望めいた誓いも、いざ巨人達の戦いが始まれば脆くも崩れ去る。つくづく、自分の住んでいた世界は狭かったのだと思い知らされた。
 ルヴィアゼリッタは、急激に血液を失ったショックに断線しそうな意識をなんとか繋ぎ止めながら、立ち上がって泥を払った。
「……ほとんど役立たずですわね、わたくしは」
 魔術師にとっても常識外の出来事への驚愕からは抜け出せたが、それでも上手く対処できなかったことへの苦々しさは残る。
 ルヴィアゼリッタには自信があった。
 魔術の才に。己を殺し、冷静で的確な判断を下す魔術師としての才に。
 セイバーのような存在ならまだしも、同じ時代に生きる魔術師を相手にこうもやられっぱなしでは矜持に傷の1つや2つは入る。
 卒業を待たずして魔術研究機関最高峰である時計塔の正魔術師位を持つ名門エーデルフェルト家の才媛、学年主席候補などと言われても、所詮は経験不足の学生ということなのか。
 魔導書を持たないから、英雄ではないから――そういった根本的な力量の差ではなく、もっと良い戦略があったのではないかと思うのだ。
 あの偽神が強いことは分かった。だがそれも1つの魔導具であるなら、使わせないことで対抗するのが戦術というものではないか。戦争とは、戦闘とは総力戦のことではない。
 そして、ベントゥスの攻撃はそれを目的とし、ほぼ成功しているように見えた。そこに穴を空けたのは、ぐずぐずとその場に残っていた自分であるという事実。
「このままで……済ますもんですか」
 ルヴィアゼリッタはふらつく身体に魔力を通してとりあえず支えながら、よろよろと歩き始めた。貧血で失った平衡感覚に苛つきながら、逃げてきた道を一歩一歩踏み締めるように戻る。
 それは光頼らの戦いの邪魔になることを怖れたからでもあったが、しかしそれだけではない。
 欲しい答えは、少なくともそこに繋がるヒントは得たのだ。そして何より、自分らに欠けた力と情報を持つ者を、同じ敵と戦う者を見つけたのだ。
 たとえこの戦いで自分に出来ることが何もなくとも、
「このことを……セイバーに伝えなくては……!」
 きっと、それがこれからの戦いの運命を握る鍵になる。
 そう信じて、ルヴィアゼリッタは少しずつ歩みを速めた。


   3


 ――夢を見たような気がした。
 それは竹刀を打ち合わせる鍛錬だったようにも思うし、或いは暖かい食卓だったかもしれない。或いは、己の剣が少年を刺し貫く、滲んだ光景であったかもしれない。
 否、英霊は夢を見ない。少なくとも、魔力で編まれた脳は睡眠中に記憶の整理を必要としない。ならば今のは純然たる連想記憶か、夢想、妄想と呼ばれるものか。それとも純粋な英霊ではない自分は例外なのか。
 いずれにせよ、セイバーは気付いてしまった。
 エネルギーの供給などとは全く関係なく、自分がいつの間にか弱くなってしまっていたことに。
 己が弱かったのは、胸の裡を支配する靄は、凛を奪われるよりもっと前から、そう、遠い島国からの一本の国際電話を受けた時、いや、もっと以前から――


 背中を打つ衝撃でセイバーは目覚めた。
 意識を失っていたのは1秒にも満たない間のことだったらしい。
 正面に立つティトゥスは、その斬撃の余韻にか、未だ体勢を戻しておらず、またセイバーも鮮血を撒き散らしながら背中から落ちて転がった痛みが抜けてはいなかった。
「ぐ……かはっ」
 口の中に広がる不快な鉄の味を吐き出しながら、立ち上がろうと地面に手をつく。と、思ったよりも深く沈む。どうやら地面には穴が開き、泥水が流れ込んで平らに見えているだけのようだった。
 足を取られないように注意して立ち上がると、何かの工事跡か、それとも誰かが掘り返したのか。周辺一帯は無数の穴が穿たれ、地雷原よろしく泥水の穴が開いた幅にして十数メートルの地帯をティトゥスとセイバーは挟んで向かい合う形になっていた。
(追い打ちをかけなかったのは、この足場で反撃を受けることを怖れたからか)
 或いは、ただの余裕かもしれなかったが。
 どのみち、救われたことには違いない。セイバーは魔力を動員して鎧ごと裂かれた腹を再生にかかる。体組織が魔力であるサーヴァントの場合、その再生は治癒というよりも再構成といった方が正しく、ある程度無茶なことも出来るのだが、その分消耗も激しい。傷を受け過ぎれば、結局はその魔力消費によって身体を維持できなくなり、消滅することになるだろう。
 その点であの妖術師ほど万能とは言い難いのが、この時代に確かな繋がりを持たない半霊体の辛いところであった。
「……未熟。紛う方なくこの上ない必殺の機に、この人ならぬ姿を晒してなお仕損じるとはな」
 ティトゥスは着物が邪魔になったのか、上半身をはだけていた。
 その内側に隠されていた姿、筋骨隆々というわけではないが鍛え抜かれた――或いは、魔術的にそう改造された――肉体は、ティトゥスの言う通り確かに人ではなかった。
 両脇からそれぞれもう1本ずつ腕が生え、折れた刀を握っている。合計4本の腕がそれぞれに得物を持つ姿は、さながらインドの神像の如く。
 つまりは、そういうことなのだった。あり得るはずのない刃の正体は、繰り出し得ない斬撃というだけのことで、ティトゥスにはなんら不可能ではなかった、という訳だ。
 よく見れば、セイバーの剣を受け止めた左の二刀と右の一刀だけではなく、セイバーの胴を薙いだ方も歪み、ひしゃげてしまっていた。鎧の強度と無意識に放出した魔力によって守られたというところか。
 否、セイバーの鎧と爆発的な魔力放出を一撃で突破したことこそ、驚嘆すべき事実だろう。達人級アデプトクラスの魔力がなければ、触れた瞬間に跡形もなく破砕されているところだ。
(ティトゥスがあの時、あともう一歩踏み込み……狙われたのが首なら、間違いなく刎ねられていた)
 そのことにも冷や汗が流れる思いだが、しかしもっと気になることがあった。
 それはティトゥスが人ならぬ数の腕を持つ異形の剣士であることなどではなく――
「――ティトゥス。もう一度聞こう、シロウは……エミヤシロウは、生きているのか」
「さて。拙者以外の逆十字に斃されておらねば、健在であろうよ」
 この手で勝利したいとは思っているがな――そんな台詞を聞きながら、カチリ、とセイバーは己の裡でパズルのピースが填る音を聞いた。
「――――そう、か」
 或いはそれは、何かのスイッチの音だったのかもしれない。
 一日半ほど前、主を連れ去る巨人を見てからずっと胸の奥に蟠っていた黒い沈殿物が溶けてゆく。喉につかえていた焦りも迷いも全て呑み下され、身体には澄み渡った空気が漲る。
 ――衛宮士郎は、既に戦いを始めていた。
 その事実。決して事態が好転した訳でなく、己の力が底上げされた訳でもない。どう考えても悲劇以外を連想させ得ない事実がしかし、ようやく己に本当の意味で火をつけてくれたように思えた。
 セイバーは一瞬気絶してなお右手に握ったままだった《風王結界》を持ち上げる。
 構えは正眼に。消耗を意識し、このロンドンに敵が2人いることを知ってから無意識に己に嵌めていた心の枷、計算高さという名の愚劣な余裕を音もなく外してゆく。
 そこから現れるのは、ティベリウスと相見えた時、怒りにまかせて思わず覗かせた静かな烈火。再びその身を灼き始めるそれにどこか安心感めいたものを感じながら、セイバーはここで全ての力を使う決心を固めていた。
 ティトゥスはそんなセイバーの様子に何を感じ取ったものか、驚いたように眉を動かしたのち、すぐに喜色を取り戻した。脇から生えた隠し腕を元に戻すこともなく、新たに生み出した四刀、うち上腕の二刀を上段で交差し、下腕の二刀を下段に据えて広げる。
 正解だ。
 これからセイバーが行うのは人外の業。ただ強いだけの剣士ではなく、魔力で戦うの攻撃。対抗したいならば、自身もまた人外として受け止めるべきだ。
 ――たとえその手段が結果として、有効に働くことがないとしても。
「礼を言おう。先の一撃、良い気付けになった」
 物理的な圧迫感すら漂わせるティトゥスの闘気の中、セイバーはようやく、何の気負いもなく口を開くことが出来た。
「ほう?」
 胸にあるのは、目が眩むような怒りか。それとも胸が引き裂かれるような哀しみか。
 彼女は知っている。正義の味方を目指していた青年がどのように生き、どのように果てたのか。今を生きる彼らが、そのことをどう思っているか。
 旅客機が墜ちた時、士郎は何を思っただろう。……否、それは想像するまでもない。
 そんな事態を引き起こした者達に対する怒りは、勿論ある。
 だがひょっとすると、とセイバーは思う。
 自分は、嬉しいのかもしれない。
 凛を救うのは自分が背負わねばならない役目だと思っていた。士郎が心を痛めずに済むよう、悲劇に見舞われぬよう、彼を巻き込まないようにとセイバーは考えていた。だが自分はそれが叶わないと知った今、それを悔しく思うと同時に喜んではいないだろうか。
 守る者としてその目の届かぬところで露を祓うのではなく、彼とともに、彼の許で、彼の騎士として戦えるということは、決して破れぬ使命を己に課しているはずの自分が今もなお現界していることに大きな意味を与えてくれるのではないかと、そう考えてはいないだろうか?
 そう、力を使い果たそうと幾度傷を受けようと、衛宮士郎と肩を並べて戦う限り、このセイバーがこれからの戦いに不安を感じる謂われなど微塵もありはしない――!
「加えて1つ予言をしよう――――逆十字が滅ぶ時、そこには、必ずシロウの姿があるだろう、と」
 確信を持ってそう告げて、セイバーは泥水の穴が無数に開いた大地を蹴った。

 風切り音と圧縮波を残して飛ぶように駆ける吶喊の中、セイバーの心はただ静かだった。
 セイバーの頭は既に、どうやって勝つかを考える段階にはない。
 ただ前へ、あらゆる音も感触も死の気配さえ処理するのは肉体に任せ、心はただ目前にある敵へ。さらにその向こうへ。遠くで響く暴風も爆発も、巨大な物がぶつかり合う地響きすらも耳に入らない。
「――来るか!」
 十数メートルの間合いを刹那で詰めたセイバーに、ティトゥスが踏み込んで放つ二斬。
 天から袈裟に打ち下ろされる右上と、その対角線を結ぶようにして迫る左下。まっとうな人間の視覚で追えば間違いなくどちらかに斬られるだろう。夜闇や動体視力のことを抜きにしても、人間の視界は横に広く縦に狭いからだ。そしてそれぞれが斜めに走る線は横に逃げることを許さず、後ろに逃げたところで時間差でその回避に補正を受けた残りの二刀に追い着かれる。
 完璧だった。
 それまでの奇抜な型に任せた派手さはないが、四刀揃ったティトゥスは魔法によらずして風に乗る燕をも落とすだろう域に、愚かな、そう、馬鹿馬鹿しいまでので達し、セイバーを追いつめようとしていた。
 ――そんなティトゥスの不幸は、
「あ――――あああぁぁぁっ!」
 外道に堕ちて手に入れた異形の剣技に対し、ただ得物が見合うものではなかったことだろう。
 セイバーの振るう剣が何かに接触するたび爆発を起こす魔力コーティングは、一刀を打ち払うのに続き、速やかに返す刃を真逆の方向へ向ける転換をも可能としていた。
 使い手であるセイバー自身にもどちらが先かと疑いたくなるほどの速度で、剣は左上と右下から来る二刀を叩き折る。
 続く二刀。
 やはり運命は同じだった。セイバーは目で追うことの叶わない斬撃群を、ただ勘に任せて撃ち落とす。
 そしてティトゥスは武器を失い、セイバーはさらに一歩踏み込んで振り上げた剣を真下に落とす――が、ティトゥスもそれで終わりではない。次の瞬間にはその四手に四刀がある。
(生成が――速い)
 士郎とティトゥスの間でどのような戦いが繰り広げられたのか、セイバーは知らない。士郎が異界の鬼械神を以て実力で遥かに上回るティトゥスを押し返したことなど、想像の範疇外である。
 だが、その技の中にセイバーは、血塗れになってなお歯を食い縛って立ち向かう、士郎の姿を確かに見たような気がした。
 セイバーの渾身の縦一文字は受けに回った二刀を粉砕し、僅かに足を引いて後退したティトゥスの胸をも浅く裂いたが、しかしそれだけだった。大地を打つ剣はどんな不幸か、穿たれた穴に溜まった泥に沈み込み、その勢いに引き摺られたセイバーの身体もまた必要以上に下がる。
「貰ったぞ、セイバー――!」
 迫る残りの二刀。両袈裟に奔る刃が完全な同期を以て、杖のように剣に体重を預けるセイバーを狙う。
 ――そして、
 そんな危機までもが、セイバーの直感が導き出しただった。
 予定に従い、セイバーは己のを解放する。
「――風王結界インヴィジブル・エア

 真名に応え、広場は、完全に攻撃動作に入ったティトゥスの動きを一瞬止めてしまうほどの暴風に包まれた。


「なんだ――とぉっ!?」
 ティトゥスが動揺した声をあげる。
 風に煽られたことに、ではない。
 セイバーを中心に発生した暴虐な旋風が、大地に穿たれた無数の穴に溜まった泥水を巻き上げ、跳ね飛ばし、結果として目眩ましになったことに、だ。完全な不意打ちで眼球に向けて飛んだ飛沫を瞼で防いでしまったことに至っては、セイバーの思惑をも超える不運というほかない。
 だが、それだけでは遅い。ほんの一瞬ティトゥスの動きを止めたとて、大地に突き刺さった剣を再度振り上げるほどの余裕が生まれたはずもない。この程度の隙で立て直せる体勢ではないのだ。
 視界が塞がれたことにも構わずティトゥスは、目標があった筈の位置に対して攻撃を集中させる。横に飛ぼうが後ろに退こうが、それで躱しきれるタイミングではない!
「――――斬!」
 だが、その2本の腕に伝わってきたのは、鎧を斬り肉を裂く感触ではなく、細く硬い金属にぶつかるそれだけだった。
 風に耐え、細く目を開ける。そこにあったのは、際限なく暴風を撒き散らす一口の美しい長剣だった。
 刀はただそれを叩いただけ。魔力放出も白銀の鎧も突破して絶命させるつもりだった渾身の斬撃に、剣は傷1つ見せていない。幾度かティトゥスの身を傷つけた筈の刀身に、血の曇りなど一点もなく――
(刀身、だと?)
 不可視の筈の刀身が、魔力の火花にもティトゥスの血にもその姿を晒すことのなかった黄金の剣が、吹き荒ぶ風の中心でその容をこの世に顕し、大地に突き刺さっていた。
 その封印。光を屈折させ刀身を隠していた彼女の宝具こそ《風王結界》。解放すれば暴風となって戦場を包む。
 風王結界とは、のだ。
 そしてセイバーは――
「上――かぁっ!」
 振り切られたティトゥスの二刀が通ることのなかった唯一の空間にいた。大地に突き刺した剣、その柄の上に片手で倒立し、そのまま前転するようにティトゥスの頭上を越えて跳ぶ。
 ティトゥスも振り向くよりも先に背後に向けて新たな右の二刀を薙ぐ。が、それも空振りに終わった。×字を描いて交差した閃きは、急激な魔力の噴射によって急降下し、膝を曲げ背を丸めて、これ以上ないほどに小さく屈んだセイバーの上を通り過ぎる。
「なんと!?」
 驚愕に、遅れてその身を背後に向けるティトゥス。
 だが、それは失策である。
 もし、セイバーが剣を握ったまま跳躍したなら、ティトゥスはまず、一も二もなく前か横に大きく転がることを考えたろう。しかし、剣から手を離した剣士が何をするのか、という思いがセイバーの危険性を見誤らせた。剣に生きる者の矜持が、剣無きセイバーがこの上なく弱体化した存在だと無意識に思い込んでしまったのだ。
 その能力、人外の身体能力の源が全身から放出される膨大な魔力にあることには、初めから気付いていたはずなのに!
 そうして振り向いたティトゥスが聞き、そして見たのは、
「――終わりだ」
 鎧の大部分の構成を解き、収縮したバネを解放して下から上へと跳躍する小柄な少女の静かな宣言と、そうしてようやく対等の高さになったティトゥスの側頭部を刈らんと奔る、弾け散る魔力の火花が青き業火の如く包んだ白銀のブーツだった。


   4


 ベントゥスはベルゼビュートの突き出した腕を躱し、横から硬質化させた触手を次々と突き立ててゆく。
 直後、触手の突き刺さった腕の内側から青い光が漏れた。くぐもった爆発音。次の瞬間には、腕は力を失ってだらりと垂れ下がる。
 機構内の回路部を分解され、腕としての意味を失ったのだ。地味だが、攻撃側の消費に比してダメージが大きいこと、魔術回路を丁寧に潰していくために再構成する体積に比してティベリウスの消費が大きいことが選択の理由だ。
「舐めんじゃ……ないわよッ!」
 そうした一瞬の交錯の次の瞬間にも、残った腕が迫る。ベントゥスを守るように発生する竜巻。拳に篭められた魔力が竜巻を破砕した時には、既にベントゥスは射程外まで逃れていた。
「そうそう何度もぶん殴られてたまるかってんだ」
 嘯きながらも、コクピットの中で光頼は小さく溜息をつく。特に集中力を必要とするものも含めて、何らかの操作を要求されてはいないのだが。
 ダメージはあった。敵の攻撃は回避した。今の接近は、間違いなくこちらのポイントといえるものだろう。だが、距離を取り、迫ってきたスター・ヴァンパイアを杖で迎撃した時には、既に腕の機能を取り戻したベルゼビュートは空中に浮かぶベントゥスに向けて構えていた。
 実際にはダメージは蓄積されているはずだと信じたい。機体そのものではなく、操作する魔術師のエネルギー量という形で。
 だがそれが視覚的に表れてこないことは、焦りに繋がる。ネクロノームとの精神同調を損なうことによる出力低下が戦況に影響を与えるような状況でないのが幸いとはいえたが、逆に言えば光頼の実質的な強さによって戦況が好転することもない。事実上ただ座っているだけ、という状況が光頼の焦りを加速する。
「……ベントゥス」
『コクピット位置の算出完了。試してみよう』
 それでも息だけは合うことに皮肉めいたものを感じながら、光頼は指示を出してみる。無駄だということをある程度予想しながらだが、コクピットへの直接攻撃を。
 眼下のベルゼビュートに向け、ベントゥスが右腕を突き出す。
魔道素クリプタイズドリル――」
 と、腕は分解され青い粒子となり、次の瞬間には奇妙に捻くれた木の枝のような形状へと変化する。それはさながら魔術機であるベントゥスが己の元素たる風を操る魔法使いの杖といった趣だ。
 腕がゆっくりと回転を始め、周囲の空気が青い光を放ちながら纏わりついてゆく。腕の回転が速まるにつれ、空気もまた風となり旋風となり竜巻となってベントゥスの腕を包む。
 竜巻はのたうち、うねり、鎌首をもたげて吼えた。
 青い風の暴竜と化した竜巻は、落雷の如く高速で蛇行しながらベルゼビュートを目指す。
「――――!?」
 暴竜はベルゼビュートの組んだ両腕ごと、その胸部を貫いた。くぐもった悲鳴らしき物が響く。竜は赤い布状の外套を引き裂きながら内臓を破砕し、そのまま貫通して地面の表層をおよそ百メートルに渡って抉り取り、バウンドするように空へと駆け上がって、雲を貫いたところでようやく消滅した。
「やったか!?」
『――いや、失敗だ』
 意気込む光頼だが、しかしベントゥスの答えは厳しい。文字通り風穴を空けられ、背中から大地に倒れ伏していたベルゼビュートだったが、胸はみるみるうちに塞がってゆき、10秒も経つ頃には完全に元通りの姿があった。その外部スピーカーからは不死身の道化の声が響く。
「なあんてね、ぎゃははは! ハーズレ! もうおしまいかしら、ネクロノームちゃん? そろそろ万策尽きた頃なんじゃなあい? ……それとも、ここらでいっちょ大量虐殺でもやっとくぅ?」
「野郎……!」
 アンチクロスが協会をどう捉えているのか不明だが、こちらはただでさえお目零し的に見逃されている身だ。今の攻撃でさえほとんど賭けのようなものだったというのに、繰り返すとなればいつ人的被害が出るとも限らない。そんなことになれば、間違いなく協会や軍はメンツにかけて彼らを潰しにかかるだろう。
 物言いは挑発的だが、しかし流石は、というべきか。広範囲な破壊魔術を使えないベントゥスが離れればスター・ヴァンパイアで牽制し、動きを止めたところで強力な呪いを撃ってくる。かといって近付けばそのウェイト差を利用した格闘戦で押し切られる。
 多彩な能力を持ち、数ある鬼械神でも上位にランクされるベルゼビュートあってのことではあるが、ティベリウスはネクロノームとの戦い方を見事に心得ていた。
 これがカリグラやクラウディウスならば、攻撃が単調である程度与しやすいところではあるのだが。何より彼らの場合はダメージを与えれば逃げる。
「やっぱ厄介すぎるぜ、あいつ」
 そのフォルムとサイズから鈍重なイメージがあるが、しかし正面からパイロット自身への攻撃を許すほど甘くはない。
 結局のところ、「風」のエレメントであるベントゥスによる遠距離からの攻撃では大雑把すぎるのだ。あの不死生物アンデッドを余波で細切れにすることはできても、跡形もなく消し去ることができない。
 「火」ならば焼き尽くしてしまえば良い。「空」ならばいずことも知れぬ亜空間にでも放り込んで終わりだ。
 だが、このままでは奴にダメージは与えられてもとどめが刺せない!

 ――隙が欲しい。もっと近付いて、呪いも腕も擦り抜けて一直線に直接そのコクピットを抉り出せるような、そんな絶好の機会が――

 そんな祈りとも願望ともつかない、少なくとも戦術眼とは決して言い難い思惑は、しかし唐突に叶うことになる。
「な――もう1機だって!? いや、違う……なんだ!?」
 光頼の意識を、否、ベントゥスのセンサーのみならずティベリウスの意識すらも釘付けにする、強大な魔力が現れたからだ。



 セイバーの蹴りをまともに喰らって吹き飛んだティトゥスは受け身も取れず、空中にあった距離を含めれば実に数十メートルを転がりながら地面を削り、かつては敷地を覆う柵か門だったと思われる積み上げられた瓦礫を崩してようやく静止した。
「ぐ……うぅっ」
 並の人間ならば間違いなく頭蓋を粉砕されるか、首ごと飛ばされるかしている威力である。《屍食教典儀》を用いて既に人間とはいえないレベルにまで肉体改造を施したティトゥスにしても、ただでは済まない。
 否、意識があること自体、奇跡のようなものだった。全身打撲と、頸椎や最悪の場合頭蓋にもヒビか亀裂でも入ったかのような激痛の中、それでも戦意を失わなかったのは、その身を包む歓喜ゆえだったろう。
(……強い)
 ティトゥスから見たセイバーは、その一言に尽きた。
 戦いの中に白い閃光を見る、などという次元ではない。一合打ち合わせるたびに思考は真っ白になり、青い火花が己の刃を砕くたび失禁しそうになる。
 この激闘を肌で感じている限り――己はあの度し難い怠惰を忘れられる。
「もっと……だ」
 もっと。もっとこの嘔吐しそうなほどの身体の震えを。
 もっとこの歓喜きょうふを、己に――!
「――終わりだと言ったぞ、ティトゥス」
 だがそんな願いとともによろよろと立ち上がった満身創痍のティトゥスへと届いたのは、少女の静かな声だった。
「な――――に?」
 セイバーは、その背後に先ほどの女魔術師を庇うように立ち、姿を現した黄金の剣を両手で構えていた。ゆっくりと身を捻り、大きく振り被る。
 ――剣を引き抜いたその地からほとんど動かず、ティトゥスとの数十メートルの間合いを詰めないままに。
 ぞくり、と、今日になって最大の恐怖がティトゥスの背筋を駆け抜けた。
「なんだ……は」
 吹き荒れる嵐に支配された戦場、その中心に一際強大で濃密な魔力の塊があった。
 紛れもなく、その発生源はセイバーの握る黄金の剣に違いなかった。暴風の中心にある、否、自ら風を発生させているその剣は、一級の魔術師が禁忌の増幅魔術を用いてようやく実現させ得るだろうレベルの暴風から感じられるよりも、さらに倍する魔力を発して輝いていた。
 剣の発する魔力は今もなお膨張を続け、それに従って輝きも増してゆく。
 斬撃がどうこう、という距離でないのは確かだ。その上で戦闘の決着を宣言するということは、何らかの意味があるということ。
 だがそんな状況判断や剣の発する力より何より、確信を持って剣を握るセイバーの瞳に、ティトゥスは自らの敗北を悟った。
(間に合う、か――)
 反撃は許されない。そのための先の蹴りだ。回避も逃亡も不可能だろう。ティトゥスに許された選択肢は数少ない。
 古墳館に設置した帰還用の転移術具の端末を起動させ、背後にゆっくりと開いてゆく空間の穴を意識する。さらにティトゥスは刀を打ち下ろし、虚空より《屍食教典儀》を引き摺り出す。
 ただ転移を行うだけではまず間に合うまい。ほんの僅か、一瞬でも良い、飛び込む時間を稼ぐ盾が要る。
 そんなティトゥスの焦燥をよそに、剣が一際眩い輝きを放つ。まるで主に己の準備が整ったことを示すように。
「私の名を知りたいと言ったな、皇帝――」
「なに――?」
 確かに言った。英霊セイバーの正体の生前の名を、何処で如何なる偉業を為した英雄なのか知りたいという思いは変わらない。否、その強さを目の当たりにした今ではむしろ強くなっている。
 ティトゥスの勝利を条件として明かされる筈のその名を、今、名乗るというのか。
 それとも――
「――ならば聞くが良い。我が英霊の証たる聖剣の咆吼を」
 その剣は、名乗らずとも正体が明かされてしまうような、そんなにも当たり前に知られた伝説だというのか。
(――まさ、か)
 ティトゥスの脳裏に閃くものがあった。
 だがティトゥスの知識にあるその伝説の英雄は、あまりに目の前のセイバーとは違いすぎる。そも、世界の伝説に聖剣の使い手などいくらでもいる。
 だがもし本当にセイバーが、ティトゥスの真っ先に閃いた最強の聖剣の使い手だとすれば、その正体に合致する英雄は1人しかいない。
 恐怖を集めて怨霊が肥大化するように、伝説を語る人々の幻想を、信仰を纏うのが英霊だ。もし、セイバーが真実かの騎士王であるなら、で彼女に勝てる存在などいる訳がない!
 セイバーは輝く聖剣を振り下ろし、その真名を解放する――

約束された勝利の剣エクスカリバー――――!」

 聖剣から溢れ出す黄金色の魔力は、一条の閃光となって撃ち放たれた。



「あ――んですってぇぇぇ!?」
 ティベリウスは結局のところ、気付くのが遅すぎた。
 その魔力の正体がセイバーの持つ剣であることには気付いたし、それでティトゥスが破れるならばそろそろ潮時かとも思ったのだ。
 憎きネクロノームを葬る機会を逃すのは痛いが、セイバーの捕獲には失敗し、この地にデモンベインが持ち込まれた形跡もない。今行っているのは言ってしまえば無駄な戦いでしかないのだから。
 だがそこまで分かっていて、ティベリウスは肝心なことを分かっていなかった。
 つまり、セイバーの持つ聖剣が具体的には何を起こすもので、それが向けられていたのか。
 ティトゥスを蹴り飛ばした時から、セイバーは2人の敵を視界内で射線上に納めることを考えていたなど、ネクロノームの対処に追われるティベリウスに予想し得よう筈もない。
 広場の中心から放たれた閃光は、ティトゥスが招喚した巨大な刀を重ね合わせた即席の盾を易々と撃ち貫き、その数百メートル先に立つベルゼビュートの脚をも両断してみせた。
 のみならず、地上からやや上向きに放たれたその光条は些かも減衰することなく、一直線に空間を切り裂いて雲を貫き、雨上がりの世界を星の光で照らし上げた。
 それはまさに光の刃。もし水平に撃たれたならば、地上には巨大な断層を残すことになったろう。
「は――――」
 ぐらり、とよろめく機体。慌てて再生を開始するが、崩れた体勢は支えようがない。
 そして眼前、遥か先には、真夏の空のように鮮やかな濃いブルーの光を纏う風の化身がいた。


 その隙を逃す光頼でもベントゥスでもない。
 ベントゥスが両手両脚を変形させながら前に突き出すと、それぞれの手首と足首から先が青い粒子となって消え去った。残った手足の空洞は砲口か、ジェット機のノズルのように見えたかもしれない。
 魔術の宣言に、2人の声が揃う。
『トルネード・アーマー・ON!』
 4つの噴射口からは青い光とともに、それまでとは比べものにならないほどの強烈な暴風が吐き出された。
 ブルーの光輝は〈風〉の〈n〉の根本元素。暴風はその力の発現。
 青く輝く風を鎧い、ベントゥスはその腕の先を無防備なベルゼビュートの胸部、その中心にあるコクピットにぴたりと据える。
 光頼が叫んだ。
「行け、ベントゥス! あいつを鬼械神と切り離せ!」
 応えてベントゥスは、大気を裂いて突き進んだ。
 否、その機動は転移とすら呼んでも良いだろう。誰の目にも留まらない移動手段は、つまるところワープと変わらないのだ。
 青い彗星と化したベントゥスは、片足を失って倒れ込もうとするベルゼビュートの胸へと体当たりをかけ、
「ぎゃあああ!」
 赤い外套も機体の中で蠢く奇怪な贓物も引き千切り、通り過ぎざまにコクピットを押し潰しながらティベリウスを引き摺り出した。


 ベントゥスの風を噴き出す噴射口の1つから出現した手に捕らえられて危機に陥りながら、ティベリウスの意識はいまだセイバーの剣に囚われていた。
 見た者の魂を惹きつける星の輝き、そしてセイバーの次元違いの魔力出力もさながら、さらにそれを増幅して光刃へと変えるその宝具。
 それ自体が一級の神秘である風の鞘に封印され、それを一枚一枚剥がすようにして姿を現すその過程、何よりその威力!
 あれは、あれではまるで――
「あれじゃまるで鬼械神じゃないの!」
 ネクロノームに敗れるのは仕方ないと思っていた。突如として彼の前に現れた暴君ネロの持つ鬼械神もきっと強力だろう。
 しかし、今回ティベリウスを敗北させたのは、致命的な隙を作ってみせたのは、間違いなくあの黄金の剣の一振りだった。
「は――ひゃははは」
 笑うしかない。全身を奔る恐怖で感情のたがが外れたのもあるが、の魔法陣には、それほどの力があるのか。
 それだけでも素晴らしいというのに、そこへさらにあのような計画を持ち込もうという臓硯、いやその背後にいる者とは、いかなる鬼才であろうか。
「――またね、セイバーちゃん。次はちゃあんと犯してア・ゲ・ル」
 ティベリウスはそんな捨て台詞を呟きながら、ベントゥスの手が放つ青い光に分解されて消滅した。

 それが、2日あまりに渡ってロンドンを襲った事件の、ひとまずの終幕だった。


   5


「――やったと思うか?」
『さて。呆気ないといえば、呆気ないが……』
 敵を倒しきったことを素直に信じられないのは、経験ゆえか、それとも予感か。
 いずれにせよ、今はまだそれを確かめることはできない。次に遭うことがあれば、死んでいなかったということなのだろう。
 とりあえず、今はその勝利を喜び、気を抜いても良いと思いたい。
「けど、さっきのはなんだったんだ。協会か、イギリス軍がビーム砲でも撃ったのか?」
『ロンドン魔術協会の詳細なデータは無いが、少なくともイギリス軍の制式装備に大出力魔道砲の登録は存在しないな』
 皮肉を返しながら、ベントゥスにも心当たりがないのだろう。続いて光頼が挙げる鬼械神があったのかもしれない、という可能性を、発射地点にそのサイズの物体が存在しなかったこと、そして魔力反応の弱さという2点の根拠から否定するのみである。
『発射地点と思われる座標は先ほどの広場とほぼ一致している。接触を図るか、光頼』
 言われてしばし悩むが、しかし光頼は首を横に降る。
「やめとこう。今回ちょっと暴れすぎたからな。軍や警察も俺たちのこと諦めた訳じゃないだろうしな。見つかると事だ」
 雲が切れ、星明かりに照らされた地上の様子は、一言で言って滅茶苦茶だった。
 住宅密集地からは離れた森の中、ぽつぽつと散見される建物に被害がなかったのは奇跡かもしれない。木々は薙ぎ倒され、或いはベルゼビュートから飛び散った酸で溶けている。道路は抉り取られて土を露出しており、また墜落したスター・ヴァンパイアの消滅がもう少し遅ければその火は木々に移っていたかもしれない。
 実に頭の痛い光景であった。
 ベントゥスは頭を抱える光頼に了解の意を返し、魔術迷彩を施して姿を消してゆく。
「ルヴィアゼリッタ……って言ったっけ。聞きたいことはあるけど、夕方にでもまた会えるか」
 確か、寮でまた会おうと約束したはずだ。その時にでも、詳しい話か聞けるかもしれない。
 考えるのはその時で良い――そんなことを思いながら、光頼は目を閉じ、シートに背中を預けた。

 光頼が目を覚まし、神足えりともう1人が病院の襲撃犯として報道されるのを見るのは、数時間後のことである。



 体組織の維持ぎりぎりにまで消費された魔力に、セイバーは堪えることができず背中から倒れ込んだ。
「セイバー!?」
 ティトゥスとの戦いの途中にやってきて、後ろで控えていたルヴィアゼリッタが駆け寄ってくる。
 心配ない、と手で合図を返しながら、セイバーは己が雲に空けた風穴から煌めく星々を眺め見る。
「わたくし、初めて知りましたわ。アーサー王が女の子だったなんて。2人とも微妙な表情でだんまりを決め込む訳ですわ」
「――そういえば、貴女にも話していませんでしたね」
 口を尖らせて言ってくるルヴィアゼリッタには苦笑を返すしかない。
 尤も、名乗ったところで冗談としか思われまいが。唯一の証が出現に多大な魔力を要する聖剣では、黙っていた方が良いだろう、というのが士郎や凛と話し合って決めたことである。
 むしろ、協会を含めて誰にも申告していなかったことがアンチクロスへの情報の漏洩を防ぎ、結果としてティトゥスやティベリウスへの心理的な奇襲になったかもしれないと思うと、どこか小気味良さすら感じる。
「う……」
 と、そこで意識か薄れかけた。
 やはり聖杯の存在しない状態で宝具を使うのは無謀だったらしい。決心がもう少し遅ければ、ティトゥスとの戦いでさらに魔力を使い、聖剣を使用した時には消滅を覚悟せねばならなかったかもしれない。
(……いや)
 より正確には、この地だからこそ生き残れたのかもしれない。自分には荷のかちすぎるあの伝説を最も強く残すこの国だからこそ、この首は薄皮一枚で繋がっているのだろう。
 それは、過去、セイバーの為した業を人々が誇り、憧れ、信仰している証。そのことによって自分が救われたのなら、少しだけなら自分のことを認めても良いのかもしれない、と思った。
 見上げる星空か、それとももっと近くにか。朦朧とした意識の中、セイバーは己から抜けていく力が像を結び、美しい装飾が施された鞘に納められた剣を大地に立て、その上に両手を乗せた格好で遠くを見据える少女を見たような気がした。
 目が合った、ように思う。
(ああ……あなたは……間違った聖杯のぞみを捨てましたか)
 頷く少女。そして、何事か唇を言葉の形に変えながら、鞘に納められた剣を持ち上げ、軍配のように遠くへ向ける。
 今度は、セイバーが頷く番だった。
 言葉は耳に入らず、剣が指し示す方角も定かではない。しかし、その意味は既に己の裡にあるものだと、何故か確信があった。
「少し……眠ります……あとは」
 強烈な睡魔に、辛うじてそれだけを口にすることができた。
 ルヴィアゼリッタの柔らかい了承の言葉を聞きながら、セイバーは意識が沈みゆく中、再確認した己の役目を反芻していた。

 ――日本ひがしへ。全ての運命は懐かしきかの地に。


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